人生で主役になること#72
親友に陣痛が来た。
3人産んだ私はそわそわしながらLINEを返し、夜もなかなか眠れずに寝不足になった。
翌日、無事赤ちゃんがうまれた。
生まれるまでの、1日間、私はそわそわするだけで、ちょっとした気休めを言うくらいしかできなかった。
彼女が、頑張るしかない。痛みも分けてもらえない。圧倒的なかやの外感。
不思議な距離感だった。
去年の今頃、私の中には赤ちゃんがいた。お腹は重くて、でもあまり記憶がないくらい育児と仕事に追われていた。
3人目だから慣れてるかなと挑んだ出産は、忘れてただけで痛くて痛くて痛くて、終わったときはもう産まなくていいという解放感でいっぱいだった。
妊娠も、出産もすごくすごくしんどいし、辛いけど、自分のコントロールができない肉体改造の中で生み出すという作業の自分が主役感はすごい。
痛みも、存在感も、すごい勢いで自分を喰うように襲ってくる。そしてそれからは逃げられない。
避けることができない、運命に身をゆだねるような、逃げ出せない絶望と希望が混じった体験。
それが妊娠や出産だった。
そんな一大行事が、過去のものになり、今は見守るだけしかできない立場にいるという、手持無沙汰感たるや……!
年齢を重ね、いろいろな経験をするけれど、時に、その体験は自分を上滑りしていくような気になることがあった。
妊娠出産、子育てという逃げられない深い他者を生み出し育てるという体験は、人生を分曲げるほどの経験になるんだなと、改めて感じた。
生きている実感というのは、意外と気を抜くとすぐに薄まってしまう。
特に、私の様ななにもない普通の人間には。
圧倒的に夢中になれることなんて、これからの人生でいくつ会えるだろう。
これから子どもたちの初体験を近くで見ながら、追憶していく日々の愛しさと切なさよ。
まあ、でもそれも楽しむしかないな。必死に。
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