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野心と惰気#55

3度目の悪阻にのまれ、私の集中力は根こそぎ吐き出され、お腹で生き物を育てている実感が大きくなるにつれ「何もしたくない」という気持ちが大きくなってくる。

34歳、自覚していたが、私の野心は薄れている。

前に進むパワーというか「変えたい」とか思う気持ちが薄れ「もうちょっとよくなれば」「よくするには」を考えはするものの、心が前よりも乗っていないことにも気づいている。

人は、何もせずに生きられるのか。

多分、あと数十年は人に「仕事」とかそういうやりがい的なものは与えられると思う。でも、どんどん機械化が進み、外国人労働者に仕事を譲り渡しているように、仕事は減っていく。

私の書く仕事も、なくなりはしない、今が丁度いいと思っていた部分もあるけど、機械は賢いし、人の思考パターンなんて限られてくるから、独自の強みを持たないと淘汰されるだろう。

今は、ラッキーなターンなだけなのかもしれない。

「求められる」という贅沢。そこに甘んじて置いてきた「やりたいこと」が、果たして何になるのか。

私は知っている。何にもならない。せいぜい自己満足。その先に何があるのか。生み出す苦しさを何度も味わってきた私はしっている。

「やりたい」の隣には「しんどさ」がセットでいる。

正直、何にもやりたくない。すごい人に飲まれて、「すごーい」っていうだけに戻るのもありだ。楽だ。

でも、多分そっちにも行けない。仕事にも、自己実現にも存在意義がなくなると、結構苦しくなる人種がいる。私だ。家族ができて薄れても、それはなくならない。

だから、私は揺れている。野心と、惰気と、今日の天気と気分で揺れる。

どこへ行くかは、わからない。行きたいところは探した方がいいのか、目印を立てたほうがいいのか。

分かるのは、それを選ぶのは、もう会社でも上司でもなく、自分だということ。

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