幸せはちゃんと幸せだった#52
長いこと、不幸が友達だった。
不幸が友達だと、得する方が多いと思っていたから。
マウンティングからさっさと降りられる。
やらない言い訳ができる。
同情される。
それをネタにもできる。
何にもないよりも、不幸があるほうが幸せだと、本気で思っていた。
普通や恵まれていることがコンプレックスだった10代。
20代は恋愛の不幸話がいろんなところにつれていってくれた。
最終的に今恋愛コラムニストをやっているのも、その不幸のたまもの。
マジで不幸万歳だ。
そんな私も30代も半ばになり、最近は不幸にかまっている暇がなくなった。
出産・育児は不幸ではないが、幸せのどん底でもある。
痛い、痛い、痛い。
自分の人生が3ミリくらいしか確保できない辛さがずっと続く。
で、こそを抜けると。
本当にしんどかった分、今度は「幸せ」が見えるようになってきた。
幸せだ。
ちゃんと「あ、今、幸せだ」って、気づく。
不幸を売りにしていたのに、気づけば幸せになってしまっている。
全然悪くない。
むしろ、いい。
もうこれくらいになれば、女子のグループにいた頃の様に、比べるものもない。
趣味嗜好もかたまってるから、自分の満たされるものに囲まれる。
それらを得るために、自分の時間を確保し、自分を認めてもらえる仕事をする。
夜もひとりじゃないから怖くないし、お酒で長いこと埋めていた寂しさも、今はない。
手放したものはたくさんある。
でも、その時必要だったもので、今は、そこまで優先順位が高くないということだ。
家族単位の船にのって、航路を決めたら、もう進むだけ。
ああ、私は、何かを成し遂げたいと思った時もあったけど、普通の家庭を持って、それでそこそこ幸せだ。
私は、そんな奴を知っている。
「面白くないやつ」
だ。
そう思っていたから、結婚や母親になることが怖かった。
何物でもない。
ただの、妻・母。
でも、いざなってみたら、見えてない雑務をこなすマルチタスクの鬼だし、もう一生懸命生きるしかないから、どうでもよくなった。
面白くなくていい。
そもそも、面白い人間なんて他人軸、今は必要ない。
自分で自分を満たして、そこそこ幸せなら、それはもう、咲いているのと同じ。
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