ひとはなぜつくられたの?#65
保育園を変えたら、うっかりキリスト系で娘が最近難しい問いかけをしてくるようになった。
なぜ空はあおいの?
なぜひとはつくられたの?
にんげんはなんでいきているの?
神様はどこにいるの?
哲学的。
考えだしたらキリがないが、とりあえず
にんげんはなんでいきているの?
の問いには自然に
「うちの子と出会うためだと思う」
と言えた。
「お腹にきてhappyだったし、ちゃんと出てきてくれてhappyだし、こんなにおおきくなってくれて毎日happyだよ」
と。
私は、母の家族の愚痴が大嫌いだった。だから子どもにはできるだけマイナスの言葉をかけないよう心掛けている。
今思うと、働きながら、同居で、結構へんくつな父と、自分でも育てたくないなと思うやんちゃな3兄弟を育ててたから愚痴が出ても仕方ないとは思える。
でも、同じ道は歩きたくないから、子どもが生まれてからは「大好き」「ありがとう」などの言葉だけ言うようにころがけてきた。
おかげで外人みたいな甘い言葉を連日自然にかけられるようになった。
そして、重ねていくうちにそれらはしっかりと本心になった。
足りなかったのは、愛じゃなく、言葉にする勇気とか、実感だったんだなと今なら思う。
言葉にするのは、すごく大事だ。言葉は解決してくれないが、言葉を操る中で、一緒に行ける場所がある。
私も、何度も何度も、言葉に救われてきたし、言葉にすがってきた。
いろんな問いを投げかけられるようになって思う。
人生は言葉で答えっぽいものを出すことが出来る。
でも、実感するには、繰り返し言葉にしたり、一緒に抱きしめたり、手を繋いだりすることも必要だ。
言葉は便利な道具のひとつにすぎない。
言葉で意味を探りながら、実感は自分で探したり、納得するしかない。
人生が長いのは、言葉だけで意味が解らないからなのかもしれない。
人生のターニングポイントになるのは、いつも、ちょっとしたきっかけや体験だったりする。それこそ、言葉にできないような。
言葉だけでは、満たせないところも、ある。
なんで、わかりやすいものだけでは伝わらないのだろう。
納得しきれないのだろう。
問う、考える、答える、繰り返す。
その遊びの中に、人生の答えがあるといいなと思う。
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