好きを仕事に…の末路#46
好きなことを仕事にしたら幸せ!
そんな流れがここ5年くらいネットを中心に広がっている気がする。
その流れにのって、私は夢だった「書いて暮らす」が仕事になった。
そして、そんな状態から1年、私は夢だった書く仕事の量を減らすことにした。
言葉には力がある
昨日、トリック3を見ていて丁度、「言葉には力があります」というペテン師が出ていた。
そいつはペテン師だったが、私は、言葉には力があると思う。
本物の言葉は揺るがないし、簡単には消費されない。
この夏、友人がLINEで送ってきた村上春樹のスプートニクの恋人の一節をみて思った。
キレッキレでマットでオシャレにコーティングされているその一説は、相変わらず最高だった。
私の言葉はどうだろう。
記事はPVの上がり下がりに振り回され、ランキングに浮かんでは消える。
もちろん、浮かび上がらないまま沈んでいくものも多い。
文章が昇華ではなく消化されていく。
何処に行ったのかわからない、クレジットのない記事もたくさん放出してきた。
一生懸命書いてきたのに。私が生み出したはずの言葉なのに。
なんだろう、この虚無感は。
書くことは減らないと思っていた
ライターになる前は、書くことが楽しくて仕方なかった。
ひどい文章でも、気持ちをのせてかいていた。
多分、温度があった。
最低限のルールや言い回し、SEO、順番なんかを覚えると、頭にその型ができて、そこを通らないと言葉が出なくなる。
ルールの上で、調べて、深く潜らずに書いた文章は、すぐかける。
そして、それはなぜかすごく減る。
絶望的に、自分が減る。
だから今、なるだけコラムやインタビューの仕事以外、書く仕事は減らすことにした。
自分の言葉に価値がないからこそ
書くことは夢だった。
でも、この1年を通してそれがどういうことで、自分にどう影響するかを知った。
体感したからこそ、怒涛のように出すだけじゃなく、言葉と向き合うことが必要なのを知った。
私は、どんどん自分の好きなものと知識を積み重ねていかないと、言葉を出せない。
それがよーくわかった。
好きを仕事にを諦めたくない。
だからこそ、魂を込めて文を書かく。
好きを仕事に、を捨てず、そこで消費されず、生きていきたい。