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地図にない島 #3 発掘

<<前回・#2 誘い

伝令役を終えたネプラは、即、<島>へ戻って行った。

それからのぼくは、自分でも呆れるほど情緒不安定に、夜まで過ごした。

一目散に家に帰り。
一人暮らしを始める時、持ってきたはいいが一度も開封せずにクローゼットの奥に押し込まれていた箱を引っ張り出し。
床に座り込んだまま、どれくらいの時間、ただ眺めていたことか。


意を決して。
厳粛な気持ちで。
慎重に、箱のガムテープをはがす。

中から、少し埃っぽい、長く使われていない引き出しの匂いがする。
そこに混じる、かすかな香り。

それが鼻先に触れる前に、意図しない涙がぽろぽろと、こぼれ落ちてきた。


祖父が他界してから23年。
ぼくは通夜葬儀、法要、全てにおいて、一度も泣かなかった。
親類が、ぼくを冷血とか無感情とか噂していたことは、知っている。
唯一、叔父...母の弟だけが、理解してくれていた。
叔父は、祖父の命の終幕に、「景色を見せてもらった」からだ。

ぼくらが二人でやっていたことの、片鱗を。

「これからはおまえの役割だ」
おじいちゃんは、そう言ったけれど。
ぼくには、できなかった。

「今だって、できる気がしないよ、おじいちゃん...」

いやいや、待て。
ぼくを島へ呼ぶのは、おじいちゃんからの預かり物を渡すためだとネプラは言っていたじゃないか。
別に、またアレをやれと言うためとは限らない。
というか。
別に、ぼくらがやっていたことだって、<島>から頼まれたとか任されたとかいう話ではなくて。
おじいちゃんができることで。
ぼくが、手伝うことができたから。
二人で始めたことで。
何を約束したわけでも、なかったはずだ。

そうだ。
落ち着け。

おじいちゃんがいなくなってから初めて泣いたから、動揺しているだけだ。

深呼吸する。
そして、箱の中身を一つずつ取り出して。
床へ、並べていった。


一番上に、中身を蓋するようにかぶせてある一枚の板。
厚みはないが、しっかりして、今になっても反りもない。
かつては、磨き込まれて艶々だった。
主人を失ってくすんでしまったけれど。
曇った以外は、経年劣化は少ない。

祖父の道具入れだった木箱からはがした板。

なぜそんなことをしたかというと…
裏面に、一つの紋章が描かれていたからだ。


もう一度深呼吸してから。
慎重に、板を、取り出して。
横へそっと、置く。

板の下に格納されていたのは、遠い日々の残り香。
非日常が日常だった頃の。

半透明のプラスチックケースには、メーカーが雑多に入り混じった大量の水彩絵の具。
筆が3本…2本は未使用。
2枚の、折りたたみ式パレット。
布で包んだ数本のカラーインクと、付けペン。
ペン先はさすがに錆び付いている。

そして。
23年前の新聞紙に包まれた、分厚い塊。

折り込んで止めた紙の端をめくる手が、震えだしそうだった。

包みの中身は、2、30冊はあろうかという、スケッチブックの束だ。

その一番上に載せられているのは、ざっくりと目の粗い布地を薄い板に貼って作った、手製の紙挟み。
結わえつけた麻紐の付け根は、古風な封蝋で接着されている。
ヒビ割れもしていないし、ついさっき押されたばかりのようなツヤを保った、封蝋。


涙が。
一度は鎮まったのに。
今度こそ、堤防決壊だ。


祖父、光治郎。
享年78歳。

あの頃15歳だったぼくは、もう、子供の時代を終えて久しい。
けれど、そこそこいい歳になっても、大人とは言い難い気がする。


一応、会社員をやっていて。
無遅刻無欠勤。
特に評価が高いわけではないが、それなりに、仕事はしている。

社内の誰かと親しい…ということはなく。
休日に何か予定があるわけでもなく。

このまま結婚するのかもしれないとうっすら思っていた彼女には、あっさりとフラれた。
それも、もうすでに遠い記憶だ。

特に趣味らしい趣味があるわけでもなし。
たまにレイトショーに行って、好きな作家の本を読む程度。

そんな日常に慣れ親しんでいて。
これといって不満もない。

だけど。
あの島へまた、行くんだ。

その後は?
ぼくは今、一人なのに。


つづく




文章/川口緋呂@神龍画家



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