地図にない島 #7 最後の授業
道具の準備は、たぶん、ほぼ大丈夫だと思う。
要となるのは、矢立の中にあった水と月光だ。
道具以外の、重要なもの。
それは、ぼく自身が、用意しなくてはならない。
クローゼットにしまい込まれた荷物の中に、手製の紙挟みがあった。
島に行く前に中身をチェックした時には、いろんなスケッチの断片を集めてあるようにしか見えなかったのだが。
第一、その描線は、鉛筆でもインクでも筆でもないように見えた。
強いて言えば、焼き付けた跡のような。
筆記具が不明という不自然はあるものの、祖父が作ったものだというのは揺るぎない。
ぼくが事後に整理したわけではなく、祖父が自らそのように納めてぼくに渡したものなのだ。
この紙挟みの材料は、ぼくが、祖父の言う通りのものを調達し、病院へ届けた。
それは、はっきり覚えている。
今、わかった。
これは、入院中に祖父が用意した、ぼくへの、テキストだったのだ。
思い出せ。
おじいちゃんから教えてもらった、<お守り>の作り方を。
見よう見まねで作ったこともあったじゃないか。
紙挟みには、謎の図が書かれたクラフト紙が何枚か、綴じられていた。
何の図なのか、そもそも、それが一つの図なのか、何かの一部がいくつか集まって書かれているのかすら、不明だ。
説明書きは、一切ない。
綴じられた紙の最後の一枚に、祖父が使っていた紋章が書かれていた。
その一枚にだけ、細かい文字が書き込まれている。
ただし、説明文などというものではなく。
短歌のような、謎々のような。
だが、それが、祖父の紋章の作り方を示したものだということは、わかった。
“おまえには、おまえのための作り方があるんだよ。だから、おじいちゃんの作り方をそのまま教えても、たぶんダメだ”
一緒にいくつかの図形を作って遊んだ時に、祖父が言っていた。
ダジャレのような言葉遊びと、語感のリズム。
それを図形に落とし込んでいくやり方。
その初歩は、昔、習った。
そんなことも、全部、すっかり忘却の彼方へと押しやってしまっていたのだ。
今日の出来事や、祖父の遺品の数々が呼び水となって。
少しずつ、湧き水が地表ににじみ出してくるように、祖父と一緒に描いたもの、作ったもののことが、思い出されてくる。
今はじめた、この行為は。
師匠だった祖父から、弟子だった孫への、最後の授業...なのかもしれない。
メモ用紙にシャープペンシルで、いくつかの図案を走り書きした。
どの図案も、ベースは樹木。
あるいは、波。
途中で、風呂に入った。
水のあるところにいると、インスピレーションがわきやすい。
雷が鳴ってくれたら、最高なんだけど。
そうそう都合よくは、いかない。
空腹なことに気がついて、冷凍庫の作り置きソースでパスタを用意した。
ぼくは自炊派だ。
食事しながら、メモした図案を吟味する。
悪くなさそうに、思えた。
まだ甘い感じがする...このままでは、たぶん、練り込みが足りない。
さっき、満月を水に写した。
せいぜい、猶予は一日だろう。
明日、定時きっかりに仕事を切り上げて、ギリギリか。
もう少し吟味を続けることにする。
メモのうち、いけそうなものを写真に撮ってiPadに読み込んだ。
デジタルは便利だ。
いくらでもやり直しできる。
おじいちゃんの、万年筆や筆の線にはとてもかなわないけれど。
紙挟みに綴じ込まれた絵をめくりながら、仮に祖父の年齢までずっと研鑽を続けたとしても、この線には到達しないだろうなと考える。
もっとも、この紙の上に記されているのは、祖父の描線をレーザーか何かで焼き付けたような...しかも、イマドキのレーザー彫刻機のようなシャープなものではなく、二重露光されたようにブレているところもある。
特に文字の部分などにブレが顕著に出ている。
コピー機で複写した質感でもないし、転写だとしても、誰がどうやって......
その思考に、次に奥から浮き上がってきた疑問が割り込んだ。
おじいちゃんは、いつ、これを描いたんだろう。
ぼくが届けた材料でファイルを作ったのは、入院期間も末期の頃だった。
祖父がほぼ視力を失ってから亡くなるまでの間には、少なくとも1年以上の時間があった。
そして、祖父が入院して以降家に戻ることがなかった期間は一ヶ月程度。
入院前に描いたものではないはず。
入院前なら、いつもぼくが一緒に描いていたから、見た記憶がないわけがない。
いやしかし、学校にいる間など側にいなかった時間は確かに長いから、絶対とは言えない。
手探りでも十分に様々なことができた、恐ろしく器用な人ではあったが。
いくら無理をしても、ここまで精緻に描きこむことは...不可能な状態だった。
だから、ぼくが一緒に描いたのだから。
...と、思うのだが。
いや...でも、そこはあの人のことだ。
ぼくには見当もつかない手段が、あったのかもしれない。
それに、ひょっとしたら、もっとずっと昔に描いたものなのかもしれないじゃないか。
それこそ、ぼくが生まれる前とか。
今は、とにかく。
明日の夜までに、あの水を使える状態にしなくては。
おじいちゃんからぼくへの、最後の授業なんだから。
つづく
文章/川口緋呂@神龍画家
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?