地図にない島 #8 継承式
図案が、これでよい、と感じられるところまで持ち込めたのは、昼休みも終わる頃だった。
今日は、定時が来るのを待って、即退出だ。
会社から家までは、電車と徒歩をあわせて40分ほど。
その間、家に着いたらやることを、何度も頭の中で確認した。
どう見積もっても、墨壺の中の<月光水>は一回分しかない。
エクウから渡された箱も、当然ながら唯一無二のものだ。
一回で、完成しなくてはならない。
肝心なところをきちんと描けば、細かなところは装飾の問題だ。
大丈夫。
できる。
帰宅すると、座卓を窓際に移動した。
そこに、必要なものをそろえる。
<月光水>が入った、祖父の矢立。
エクウからもらった木箱。
iPadに表示した図案
祖父のものだった墨と小さな硯
箱の中に入っていた半紙が数枚
筆洗代わりのコップ
それから、冷水シャワーを浴びる。
滝はないが、気持ちの問題だ。
5月の夜には、さすがに冷水はちょっと厳しい。
が、気持ちの問題だ。
窓を開けて、月を見る。
少しだけ欠けた月が、中空にある。
祖父の硯は、てのひらに収まる小さなものだ。
そこに<月光水>をおとし、墨を摺る。
“墨を摺るのは、気を練ることだ。
だんだん濃くなっていく墨色に、おまえ自身が溶け込んで同化していくんだよ”
懐かしいな。
こんな気持ち、こんな感じ。
あの頃は、これも日常の一つだったのに。
よくもまあ、すっかり忘れていたものだ。
ぼくが、何かを描くのではない。
ぼくが、カタチをつくるのではない。
ぼくが、成すのではない。
それは、起きるもの。
起きること。
どれくらいの時間、摺り続けていたのか、さだかでない。
すっと手が止まった。
矢立の筆をとり。
墨壺の<月光水>に、細い穂先を浸す。
ここで<月光水>を、使い切った。
半紙でならして整え。
深呼吸して。
墨を筆に、含ませる。
エクウから渡された透かし彫りの木箱、上蓋中央。
意味深に残された円形の彫り残し部分。
静かに、その円内に、図案を描いていった。
樹木と波のコンビネーションデザイン。
雲の紋から、樹木と波の紋に引き継ぐ。
墨は、木肌によく馴染んだ。
滲みを作ることもなく、浮きもせず、極細に引いた線を受け止める。
アナログの描線など、たぶん23年ぶりだったが。
手が震えることもなく、スムーズに、描きこむことができた。
ぼくの紋を。
描き終わって筆を置き。
深呼吸する。
しばしの間、そのまま、描き終えた箱の表を、眺めて過ごした。
これが映画やアニメなら、今描いた紋がまばゆい光を放ちはじめる...という演出があるのだろうか。
目の前の箱は、静かに、そこにあるだけだ。
ぼくは箱を手に取って。
描いた紋に、ふうっと、息を吹きかける。
それから、きっちり噛み合った上蓋を、持ち上げてみる。
箱の蓋は、何事もなかったように、すんなりと。
開いた。
思わず、安堵のため息が漏れた。
ああ、よかった。
うまくできた。
開いた。
びくとも動かなかった、この蓋が。
ぼくを持ち主と認めてくれた。
箱の中に納められた麻布の包みを、そっと取り出す。
布に包まれていたのは、見覚えのある万年筆だった。
祖父がずっと愛用していたもの。
いや。
違う。
よく似ているが、ボディに刻まれている装飾が、違う。
それは、そうだろう。
祖父のあの万年筆は、叔父が形見として引き取った。
今も現役で、愛用されているではないか。
ここにあるわけがない。
これは、新しく、ぼくのために作られたものなのだ。
箱の中には、他にも品が納められていた。
半透明の石...おそらくメノウで作られたナイフだ。
手に取って、いろんな方向から見てみる。
なんだか、笑いがこみ上げてきた。
このカタチ。
この刃の感じ。
これは、ブロック型の水彩紙を剥がす時に使うナイフじゃないか?
おじいちゃん…ぼくがまだ描いてるって、思ってる?
おじいちゃんがいなくなっちゃって、ぼくだけでどうやって?
そう思うのとほぼ同時に。
砂地に水がしみこんでいくようにぼくの中に広がっていったのは、別の想いだった。
<おじいちゃんとぼく>じゃない。
<ぼくが>
続けるんだ。
どうやるかは、しらないけど。
クローゼットの前に積み上げた昔のスケッチブックの山に、目をやった。
23年前の新聞紙をはがして、中から一冊、引っ張り出す。
祖父の病室で、描いたものだった。
ぼくが中学生の頃、祖父の目はどんどん視力を失っていった。
ただ、同時に、ぼくに「頭の中に広がる景色」を見せてくれる力が、強くなっていった。
もともと、それを使って、ぼくは祖父からいろんなことを教えてもらってきた。
ことに、<地図にない島>のことは、実際にそこにいるかのように話してくれた。
祖父にとっては「生の実況中継」だったわけだが。
祖父は多彩な人で、書も絵も歌もうまかった。
よく、島の景色を描いていた。
住民のスケッチもたくさんあった。
ぼくも、子供の頃から絵が好きだった。
というか、祖父と一緒に描くのが好きだった。
祖父が想像させてくれる世界は、無限に広がるようで。
楽しくてしかたなかった。
どうやら視力はこのまま失われていく一方であるとなった時。
祖父はぼくに、一つの実験を、もちかけてきた。
物語を聞かせるようにして、言葉で想像させてくれていた<地図にない島>の景色。
ぼくも連れて行ってもらって自分で見てきてもいたから、なおのこと、鮮明に思い描ける景色ではあった。
それを、言葉ではなく、祖父の心証風景をそのまま、ぼくに受け渡すと。
その景色を、自分で描くのではなく、ぼくに描いてみてほしいと。
そう、言った。
ぼくは祖父の描くものが好きだったし。
代わりに描くなんて、無理だと思った。
だけど。
ぼくに、そんなことができるようになるのなら。
おじいちゃんが見ている世界を、ぼくの手で、残していけるのなら。
なにより、おじいちゃんは、ぼくにはできると、思っている。
...いや、違う。
ぼくにはできると、わかっている。
そうして。
ぼくらは二人で、島を描くことを、はじめた。
島に渡っていなくても、そこにいるかのように、景色を描くことができた。
時には島以外のものも描いた。
たとえば、島の外に出ていった時のエクウとネプラとか。
おじいちゃんの心の目と、そのイメージをもらったぼくの手。
合作だ。
たくさん、描いた。
時々ネプラがやってきて、絵を島へ持っていった。
自分の姿が描かれた絵を、住民の多くは喜んでもらってくれた。
それは、祖父の命が尽きるまでの間、続いたのだった。
祖父が亡くなって、一人になったぼくは、絵の道具を見るのも辛くなった。
道具箱の中に、自分自身も丸ごと、しまい込んでしまった。
捨て去ることはできず、ダンボール箱に詰め込んだまま。
進学先をあえて県外へ決め、祖父と過ごした地を離れることを選んだ。
家を出る時に持って行ったのは、実家に置いておくと知らないうちに処分されるかもしれないと思ったからだ。
いつか処分する時は、自分で...と、それだけは、決めていたから。
ただ、その時を未だに定められないまま、引っ越しの度に持ち運んできた。
中身についての記憶がすっかり曖昧になりながらも、捨てようと思ったことはなかった。
「おじいちゃんには、わかってた。ぼくが、捨てることはないって」
誰もいない部屋に向かって、声に出して言ってみる。
祖父からの依頼でエクウが作った万年筆。
握ってみると、何十年も愛用してきたモノのように、手に馴染んだ。
ガラスのコンバーターまでセットされている。
金色のペン先は、極細仕様。
ぼくもペンで描くのは好きだった。
筆圧の加減が下手くそなおかげでしょっちゅうペン先を潰していたので、いつか祖父のように万年筆を自由に使えるようになりたいと思っていた。
だって、ことのほかカッコいいじゃないか。
されど。
大人になって、少しくらいの贅沢品を買うことはできるようになったけど。
結局、今に至るまで、事務用に一本安物を買った以外は、万年筆は持たずにきた。
祖父の愛用品はボディに彫り込まれた細工が美しく、どこのブランドの高級品を見ても、あまり気持ちが動かなかった...というのも、ある。
祖父の万年筆も、エクウが作ったのだろう。
ボディに彫られていたのは、枝葉と波をモチーフにしたデザインだった。
ぼくに贈られたものは、波と雲。
角度によって青みが現れる銅色を主に、黒光りする燻しと、彫りの線がピンクゴールドに光る。
祖父の紋章は、雲のモチーフだった。
そして、ぼくは樹木と波で紋章を作った。
お互いの紋章と万年筆の装飾が、対になった。
ぼくがどんなモチーフを選ぶか、祖父には...あるいはエクウには、見当ついていたってことか。
いや。
何を選ぶかは、そもそも、決められていたのかもしれない。
それこそ<島の意思>なのかも。
その時、気がついた。
使い切ったはずの墨壺の水が、もとにもどっている。
壺の8分目ほどのところまで、いつの間にか復活していた。
これからも、この矢立を使っていけということか。
なんて、贅沢な道具なんだろう。
おそらく。
ぼくが紋章のつくりを失敗していたら、水は戻ってこなかった。
箱の蓋を開けることも、できずじまいになっただろう。
祖父からぼくへの継承は、つつがなく、終えられた。
たぶん。
つづく
文章/川口緋呂@神龍画家
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