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地図にない島 #5 <隣人>と<旅人>

<<前回・#4 島、ふたたび

“地図にない島”は、ぼくが知る限り、どこの国の地図にも、どの時代の地図にも、記載がない。
ただし、行き来は、どこからでもできる。

どこにもないけれど、どこにでもある。
どこからの道もないけれど、どこにでも繋がる。

禅問答のようだが、そういう場所だ。

固有名詞も、ない。
“地図にない島”とは、祖父が使っていた呼び名だ。


島内の地図も、存在しない。
来るたびに地形が違う。
島自体の大きさ形状も、常に違っている。


季節は、住民の意思で決まっているようだ。
島の中で“統一された季節のめぐり”というものは、ない。

雪の中が好きな住民の住処のまわりは常に冬だ…と、祖父が言っていた。
ぼくはその場所に行ったことはないけれど。

島の中では、<旅人>が入ってもよい場所というのが、かなり厳密に決められているのだ。

祖父は島の<隣人>で、ぼくは<その連れ>だったので、<旅人>よりは深いところに入れた(らしい)。
とはいえ、祖父から、この先には連れて行けない...と待機させられることは時々あった。

要するに、ぼくの祖父は、稀な人間だったのだ。


エクウの住処は、常に異なる地形の中でも、ほぼ「島の端の方」にある。
家の大きさや構造も、来るごとに違う。

ただ、何千年かというような巨大な樹の根元に埋まるような構造と、玄関のたたずまいで、一目でエクウの家とわかる。

木の扉に、ウッドデッキ。
祖父の車椅子を押すようになってからは、スロープが出てくるようになったっけ。

家の中は、温度も湿度もほどよく、居心地が良い。

窓の近くに置かれた大きな机には、彼女の手になる作品の道具材料や図版、書物などが雑多に載っている。

机上も室内も、いつもかなり散乱しているが、なにしろ珍しいモノばかりだ。
見ているだけで楽しい。

島内外の素材を加工して、宝飾品を作るのがエクウの仕事だ。
その作品は、人間の世界でも売買されている。
ぼくにとっての「現代」にも、そうでない時代にも。

素材を得るためもあるだろうが、エクウは“四季が巡る”という現象が好きだと言う。
だから、このエリア内には、四季がある。

今は、温暖で過ごしやすい季節…春と夏の間らしい。
ぼくの、現実の居住地と、気温も湿度も差異がなかった。


「お土産を用意しそびれたんだ。ごめん」

石づくりの竃で湯を沸かしながら、エクウはニヤリとする。
唇の端に、尖った犬歯がちらりとのぞいた。

「そんなもの、おまえに期待などしてない」

茶器のセットをのせたトレイを、ぼくの胸に押し付けてくる。

「それに、今のおまえからは、誰も何も受け取らないさ」

その言葉に、ハッとした。

ああ、そうか。
ぼくは、単に、祖父のよしみでここに居られるだけなのだ。
拒絶はされないけれど、許容されてもいない。
そういう状況。

部屋の中には、作業机とは別に、小さな丸木のテーブルがある。
ぼくは自分の立場を再確認しながら、渡された茶器を運んだ。


ガラスの茶器の中で茶葉がグルグル回っている。
この香りは、祖父が好きだったお茶だ。
苦みが強くて、昔は苦手だった。
今だったらいけるかも。

そういえば…
昔、初めてここへ連れてきてもらった時だったか。
出されたものを食べきったあとで、この竃で作ったモノを飲み食いしたらもう元の世界には戻れないぞ...と脅されたことがあった。

ちょうど、日本神話で黄泉の物語を読んだ後だったから、かなり本気にしてしまって、祖父に大笑いされたのだった。

ずいぶん純真だったな、と思う一方で。
エクウに真に迫った脅し方をされては、合理主義の権化でも信じそうになるに違いないとも思う。


エクウは木葉の包みを持ってきて、テーブルに置いた。
解くと、中からいくつかの白いものが顔を出す。
蓮の花をかたどった、落雁のようなお菓子だ。

これは、もしや…

「そう、ゾウ神のだ。あいつ、わたしが甘い菓子を食わないの知っていて置いていくからな。おまえ、始末してってくれ」
「いや、無理」
「かまうもんか。どうせ毎度山ほど持ってくるんだ」
「いやいや...神様のおやつを横取りするなんて絶対ダメだ」
「ちっ。さすがに引っかからないか」

当然だ。
命に関わる。

ゾウ神…日本でも大人気の、学問と商売の神ガネーシャ様は、エクウの呑み友達。
とても陽気で、楽しい神様だ。
うかつに地雷を踏み抜いてしまわない限りは。
お菓子の横取りなどは、最たる愚行だ。


ここの常連には、他にも神様がいる。
国も時代も違う、いろんな神様。
日本の神様も、もちろん。

人間は...
稀にしか、来ないそうだ。

招かれなければ入れないから。

招かれた人達も、ほとんどは<旅人>以上に昇格することはないという。

祖父は、ぼくが島の存在を知ることになった時から、<隣人>だった。

祖父が、この島とどのような関わりをしてきたのか。
ぼくは、ほとんど知らない。

ゾウ神様のお菓子をふたたび葉に包み直して机の端へ押しやると、エクウは椅子の背もたれに背中をあずけた。
腕を組んで、ぼくをしげしげと眺める。

「それにしても、しょぼい顔になったな、おまえ。渋くもなれずガキくさいまんまで、まったく救えない」

苦笑いするしかない。
相変わらずの毒舌だ。

「おじいちゃんからの預かりものがあるって、ネプラが言っていたけど」

エクウは、今度は机の方へ身を乗り出して、じっと、ぼくを見る。
果ての無い深淵が宿る、その目で。

眼の圧力のあまり、思わず視線を逸らしそうになってしまった。
どうにか踏みとどまったぼくに、エクウはちらりと微笑を見せる。

「コージローはな、おまえが、このまま島のことも自分のことも表の記憶から押しのけて生きていくとして、それで別に構わないと言ってた」
「…」
「おまえが何を選ぼうと、おまえの自由だからな。わたしも、それに賛成だ」
「…」
「だから、おまえがコージローのモノをどうしようと、それも、おまえの自由だ。
わたしは頼まれたものを作り、預かっていた。
コージローが今渡すと言いに来たから、おまえを呼んだ。
渡せば、お役御免」

エクウは言いながら、作業机横の棚から、一つの包みを取った。

黒い布で包んだ、細長い箱のようなもの。

「いい出来だぞ」
包みを、ぼくに差し出す。
「だが、今はまだ開けるな。向こうへ戻ってからだ」
「…わかった。ありがとう」

“お役御免”のニュアンスには、次第によってはぼくとの縁もここまで…という含みを感じた。
それは、島そのものとの縁が切れることを意味する。

縁が切れるも何も。
今日の今日まで、思い出すこともなく存在を認識してもいなかった。
ぼくに、反論する権利はない。


ふと。
エクウの背後。
壁に貼られているたくさんの絵の中。
一枚の、ハガキほどの絵に、目が吸い寄せられた。


ここには、別の時代や別の国、別の世界から持ち込まれた品もたくさんある。
だから、ぼくにとっての現代社会にあるモノも、普通に存在する。

その一枚は、デジタル加工された写真の印刷物に見えた。
色褪せているが、そういう加工をされているようにも見える。
それとも、実際に経年で褪色した?
ここからでは、判然としない。

ひまわり畑の中で、ひまわりの束を抱えた少年。

まさか…

「なんでここに…?」

写真に伸ばそうとしたぼくの手首を、エクウはグッと強い力で掴み止める。

「許可していないモノには触れられない。そんなことも忘れたか?」

その時、ぼくは初めて気がついた。

エクウの目が、ぼくの目よりも低い位置にある。
いつのまにか、ぼくの方が背が高くなっている。

身長自体はどうでもいいことだけど。
それだけ…ぼくにだけ、
ぼくの世界にだけ、
時間が過ぎたのだ。

「さあ、今はもう、家に帰る時間だ。用は済んだ」

エクウの住処の扉は、開いていた。
開いた空間に、ネプラの姿が見える。

ぼくにはもう、彼女に問いを投げることはできない。
終わりの宣言があったからには。
後はただ帰るしか、できない。

ぼくは、<隣人の連れ>でもなく、<旅人>でもなくなるのか。

今のぼくには、選択肢が見つけられなかった。
この包みを開けたら?
その後、ぼくがとるべき道が、見えてくるのだろうか。


つづく






文章/川口緋呂@神龍画家


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