馬に成る 【SdT_4】
ここまで本文中でハッキリと告白していないものの、勘の良い読者は既にお気づきかも知れませんが、
Tも馬が好き。馬に成るとか、最高です。
でもここで話そうとしているのは、将棋の「竜馬(龍馬)」、略して「馬」。…え? そっち?
藤井聡太七冠の活躍などもあって、今、将棋に興味を持たれる方も少なくないのではないでしょうか?
ところで、この公式noteを一緒に書いている、もう一人の劇場職員「S」ことショータくんは、
新時代の天才として、Tがその能力と軽やかさに感じ入っている二人の若者、大谷翔平さんと藤井聡太さんを、足して2で割ったような(←主に名前)、期待の超大型(←物理)新人です。
…え? ディスってませんよ? 愛ですよ、アイ。
ショータくんのことも、追って詳しく紹介したいのですが、順番というものがあります。
今はまず序奏、そして、タイトルとキービジュアルがバーンと出て、その意味が見えてきたところで、
たくさんの人物が登場して、物語を紡いでいく。
そう、これはTの中ではオペラなのですが、そのことは次項に譲ります。今回は「馬に成る」話。
「馬」は、「角行」略して「角」の成駒です。(ところで駒も馬ですね。宮崎では毎年春になると、「都井岬で春駒(子馬)が生まれました♪」というニュースが流れ、ほっこりします。)
将棋では、「角」が敵陣に入った際などに、「馬」に成ることができます。
ここに書いている文章もそうですが、Tは、自分のしていることが、自分的には必然なのだけど、
端から見たら、「なんでそんな斜め上のことをしているのだろう?」と感じられているのではないか、
と感じることが、特に最近、多々あります。時にそれは、他人を困惑させているのではないか、とも。
そんな時、自分は「馬に成る」んだなあ、と夢想しました。
馬は、馬だからこそ、金や銀みたいな動きもできるし、それも大事なのだけれど、やはり馬なのだから、そこは馬であることを活かされるのが、一番良いことなのだと思います。
斜め上からの景色を眺めることが、自分的にはごく自然で必然と感じられる動きなのだから。
そんな馬が、各個性をもつ駒と有機的に連携して、無限の可能性を探る将棋が、いいな、と思うけど、
時には、どうしてこの駒は、動かないで、隣の駒によって、ひっくり返ったりまたひっくり返されたり、黒を白と言ったり、白だったのに黒になったり、するのだろう?と思うこともあるけれど、
それはオセロだった、というのもまた、ままあること。
オセロに対して、将棋の方が優れた遊戯だとか、そんなことは全く思いません。だってそれぞれが、どのゲームをプレイしたいのか、それはただ、好みに過ぎないから。
ただ、他人の嘘に踊らされて悲劇を迎えるオセローより、同じシェイクスピアならTは、
最期に「馬(をくれ)っ! ウマーッ!! 代わりに王国(をくれてやる)!」と叫んだリチャード三世の方が、
「わかるぅ~」と思いますけどね。
他にも、鞭打たれる馬に駆け寄り、首をかき抱いて泣いたニーチェとか、
帰国後、フウイヌムに教わった言葉で厩舎の馬たちと会話をしている時だけ心が落ち着いたというガリヴァーとか。もはや、他人とは思えない。
(つづく)