馬がいて、人がいて、そしてまた馬がいる 【SdT_7】
このサブ・タイトルを掲げるにあたって、実は何か月も、迷いました。
Tの馬歴については、いったん【SdT_1】にリンクを貼った、Ninjinskyさんのブログに譲るとして、
メイショウサムソンという2006年のダービー馬がいます。
Tも現在、引退馬協会を通してフォスター・ペアレンツという制度で里親をさせてもらっている、思い入れの深い馬です。
オーナーである松本好雄さんの座右の銘として、
「人がいて、馬がいて、そしてまた人がいる」という言葉を知ったのは、
やまざき拓味さん『新 優駿たちの蹄跡~絆編~』の巻頭話を読んで、だったと思います。
(なお、他の馬主さんの発言などにもたまに、この言葉が散見されるように思います。ですから、これが松本オーナーの創った言葉なのか、それを他の馬主さんも援用されているのか、あるいはもっと歴史の古い言葉で、松本オーナーも、それをどこかで知って、自分の座右の銘とされているのか、その辺りの経緯についてはTは不案内なため、存じ上げません。)
今回のプロジェクトを進める中で、最初は単純に、言葉遊びの感覚で、馬と人を反転させて
「馬がいて、人がいて、そしてまた馬がいる」をタイトルにできないかな、
でも長いし、なにより、ふざけてると思われるかな、軽い気持ちではできないな、と思っていました。
Tは馬について、その歴は本当にまだ20年にも満たない門外漢の「ひよっこ」なので、生半可な気持ちで、この大切な言葉を、弄り、弄ぶようなことは、やってはいけないことなのではないかと。
けれど次第に、都井の、馬のこと、人のこと、この土地のことを知れば知るほど、
この言葉が、この反転にこそ、
意味がある、と感じるようになりました。
たしかに感じるけれども、それをうまく言葉で説明できない。
確信も持てない。
もう一人の共同創始者(近々ショータくんとあわせ、じっくり紹介したいと思っています)とも、何度もその話をしたと思います。時には激論となることもあった。
フィールドワークの夜に、五十嵐さんや伊達さんに熱弁をふるったこともありました。
川村さんから送られてきた作品のあらすじに、涙を流しながら、やはりそうなのだと、勇気づけられたこともありました。
そして、いずれ詳述する不思議な経緯で『avec Toi』というタイトルが降ってきた時、
この言葉、「馬がいて、人がいて、そしてまた馬がいる」は、
サブ・タイトルというよりも、むしろ『avec Toi』とニアリー・イコールで結ばれる、『avec Toi』の意訳としか、もう思えなくなりました。
『avec Toi』=「きみと、ともに」というのは、つまり、≒「馬がいて、人がいて、そしてまた馬がいる」ということなのだ、と。
その意味は、これからの話の中で、折に触れて語られることになるでしょう。
次は、更にこのプロジェクトの始まりに遡って、話したいと思います。
(つづく)