先行→認知→評価→収穫

ミニマリスト的には
過去と未来を捨てて今を生きる、となるが、中国見たら、今を生きるためには塗り替えられた過去を知る必要がある、となり、過去と現在が未来へ影響するという重大さに気がつく。

現在を知るために過去を知る必要があり、現在が未来を示し、適切な対処をしないと未来が壊される。

ネットの世界は時間軸の感覚が薄くなった、とも言える。過去の歴史を塗り替える中国みたいな国がある。

自分個人にしても、黙っていたら登れない初心者がちょっと頑張ったみたいに見下す人が多い。何で半年以上も車中泊してたのかとか、人は理解しない。なぜか車中泊は価値を持った。労咳は車中泊という文化を知らないから未だに車中泊というと見下してくるが。

どっちみち理解が遅い民衆に今理解されようと思っても無駄だ。時間軸がなく、2年後見たとき過去動画はみな過去動画で同列へ並ぶのだ。だから、今年はやってる事を急いで今年中にやるというのは利口じゃないのだ。来年には古くさく見えるから。

そもそもが、はやってる時点で終わってるのだ。先行者ってのははやる5年から10年前からやっているのだ。だから問題はいかに収穫するか、なのだ。

ただ先行してるだけでは収穫は出来ないのだが、先行してるという事は認知も理解もされず評価もされないという事だったのだ。
そこから収穫までのイメージが出来てるかどうかが問題で、自分は種まきした後の収穫をしたことがなかった。カカオを栽培しててチョコレートを知らない人みたいだ。投資をする場合、農業もやった方が良さそうだ。思考回路を徹底的に変えないといけない。

kindkeなんて自分で出せるのに出版社から出してもらった本の価値のが高いというのは、youtubeよりテレビのが価値が高いというのと同じだ、という事になぜ気がつかないのだろう。

昔ダウンロード音楽よりCDの方が価値があった。
特にレコード会社等から出してもらった物は価値が高かった。今は違う。

まだ本は紙という物体のある本の方が電子書籍より価値がある。時間の問題だ。本は捨てられないのだ。字が読めない人が多いのに本は価値が高い。

youtubeって、過去のスキルを使って商売出来る媒体なのだ。今やってみた系は素人だから商売にはならず、年々動画の価値が目減りする。

過去築いたスキルはどのみち見られるのは未来なので、過去動画となる。だから今やってる事じゃなくて、過去をいかに出すかがyoutubeなのだ。視聴者は素人を求めてない。素人を求めてないということは、過去に蓄積された経験や知識、知恵を求めているのだ。

ブログも同じ。書籍も同じ。コンテンツが作れないと悩む人の悩みは、経験が無い事だろう。ならば経験豊富な技術をコンテンツとして売るのが筋だ。薄っぺらい短期的経験を素人の目で語っても視聴者は見ない。それなりの経験をコンテンツとして出した場合の方が反応が良い。

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