時間

時間てものがそもそも存在しないと思う、最近。
時間は概念、主観だ。特に地球上や太陽系では自転、公転を基準として時間という物差しを人間が決めただけにすぎない。存在しないのだから逆回しとかも出来ない。
光の速度を追い越せば光が写し出す映像の再生を遅くしたり逆回しが可能だというだけだ。
生き物が全部同じ物差し感覚で動いてるということだ。生きてない物体も全て。それが重量と関連してルール通りの速度を持っているのは、分子やら原子と重量との関係が壊れる事がなく同様の反応をしているからだ、多分。
時間というルールが存在するワケない。そんなルール自体が天動説並みの感覚だと思う。分子とか原子が動いてるだけだ。主体的な自分のペースで。

心拍数が上がると時間が伸びた気がするし、心拍数が下がると時間が縮んだ気がする。時間は感覚でしかないと思ったが、気絶してる間も時間は経過し、気絶する前と後が繋がっていてその間ワープした感覚となる。周りは動いていたが自分は何もせずその時間を飛び越えたワケだから。(逆にその時間が欠落したのだが)
とすると周りが別の時間軸で動いてるとかの話となる。だとしたらそもそも時間というルールの権威が無くなる。皆バラバラで良いのなら時間というルールが保たれない。
が、重力だの何だのによってねじまがるだの後付けで色々追加される。その手の追加される系はそもそもの設計ミスであり、観測不十分と思える。そもそも間違ってたんだろう、と思う。
過去とか未来という単語は科学上の物では無いんじゃないか?古典文学とかで使われたり、道徳で使われる単語なんじゃないか?もしかして。即ち科学で過去とか未来という単語を用いる事自体が非科学的だろう。
過去とか未来という単語は人間が作り出した暦の上の便箋上の物であり、架空の物であり、存在しない。そも現在存在しないものを過去、未来、と呼んでいる。現在存在出来るなら過去ではないし、未来でもない。現在存在出来るものは現在と言う。
過去未来の話は単純過ぎる。時間の場合はもっと巧妙に錯覚してる気がする。

時間に合わせて物体が動くのではなく、物体が動いたり反応する速度の事を時間と呼んでいる。物体というか分子とか原子とか何らかのエネルギー的なもの(リテラシー低いから知らない)

比較出来る物が無い場面が有るのだから時間が存在する事自体を証明出来ないんじゃないか?と思う。

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