北海道出身→フランス留学→20カ国旅→高知県で起業。
なぜ北海道育ちの私が、東京とフランスの大学に進学/卒業し、ノマドになり、20カ国以上旅をして、高知県で起業したのか、振り返りたいと思います。
北海道釧路生まれ。19年間、北海道育ち。父のお仕事の関係で、北海道内を転勤族として回っていました。
北海道から出ることになったきっかけは、大学受験。
高校3年生の12月に、将来のことを真剣に考え出して、急遽文転。学校の先生をはじめ周りにもたくさん反対されました。やはり、元々理系の私が、文系科目を急に勉強したって、受かるわけもなく落ちました。
浪人はマイナスなイメージがありましたが、実際にやってみたら、私にとって自己分析の良い時間になりました。
将来について深く考えず自分とも向き合ってこなかった「失われた18年」を取り戻す思いで一年間過ごし、念願の志望校に合格しました。
北海道の教育機関が自分にはどうしても合わなかったこともあり、日本のみならず世界中から様々な価値観が集まる「東京」の国際的な大学に入学したかった。。
当時は、糀と野菜を食べることにハマっていて、糀と野菜の素晴らしさを広めたい(=マーケティング?)というなんとな〜くの思いで商学部を選びました。
教授も面白い方が多く、本当に素敵なお友達がたくさんできました。今でも入学して本当に良かったと思います。でも、私にとって何かが物足りなかったのです。それは、当時の私には何かはわかりませんでした。
穴埋めのテストがつまらなかったことだけは認識していました。いつも答えが一つしかないなんて、残念だと思っていたんです。でも、物足りないのはそれだけじゃない。。。
得体の知れない心の空白を埋めるべく、大学の授業は、履修条件の2倍以上の数を取りました。単位にならない他の学部の授業にも潜ったりして、必死に刺激を追い求め続けました。
学内のスピーチコンテストや、アカデミックスキルズコンペティション、課外活動なども片っ端から参加しました。全部楽しかったのですが、気が狂うほど興奮するほどではない。
お父さんがせっせと貯めたお金で応援してもらって、大学通ってるのに、こんなんじゃだめだ。。。
田舎出身の私が、東京でも何かが足りないのか〜と思うと、
海外の大学という選択肢がでてきました。
数ある国の中から、食べることが大好きな私は、フランスを選びました。
お世話になった大学の教授たちに相談して、推薦状を書いてもらったり、様々なプログラムを教えていただき、
ありがたいことに、フランス政府から奨学金をいただきながら、慶應大学とのダブルディグリープログラムで、フランスのESSEC Business schoolに通い始めました。
フランスの大学は、さまざまな背景を持つ人々が、年齢・国籍・性別関係なく、教授と学生が切磋琢磨し合える環境で、
私が求めていたのはこれだ!と気づきました。
教授のことも呼び捨てで呼ぶし、授業の最中に質問をすることも許される。というか、質問や発言を積極的にすることが評価につながる。枠にはめる必要のない自由な発想でプレゼンテーションもできるし、本当に楽しかった‼️
正解も一つだけではない!
自分が精一杯思考して辿り着いたアイディアをエッセイや論文に残すことが、
しっかり評価される。
新しい価値観の発見に溢れた刺激的な毎日。世界中の学生が集まっていて、カルチャーショックも毎日受けまくりです。それが、大好きで大好きで仕方なかった。
「生涯学生になれたらいいのに…」
と思いはじめました。学校教育に対して苦手意識を感じていたかつての自分はもういなくなっていました。
英語は最初からできたわけではなくて、最初のプレゼンは、周りの学生に爆笑されました。あまりにも英語が下手すぎたから。
でも、周りの辛抱強い友達たちのお陰で、日に日にマシにはなっていきました。
全くもって完璧ではないし、ぐちゃぐちゃです。でも、想いは、かろうじて伝わる!レベルでした💦
日本にいた時は苦手意識があったプレゼンテーションやディスカッションも、フランスの授業では毎週行うので、もはや大好きになりました。
フランスの大学生活のお陰で、色々な国から来た友達もできて、「よっしゃ、旅してみよう!」となりました。
ちょうどコロナになったことで、学校も仕事もすべてオンラインになりました。家を借りることは辞めて、色々な国を転々としました。
気づいたら20カ国、国境を超えて多種多様な方々にお世話になりながら、旅ができていました。
学生で旅をするって、お金があるわけではないので、居候、ファームステイ(work away, WWOOF)、時にはヒッチハイクを駆使しました。
フランスで出会ったお友達の家族と一緒に旅をすることもたくさん経験しました。
それぞれの国で、
日本から持ってきた大好きな糀を使って、
お料理を振舞いました。
どの国でも、得体の知れない発酵調味料に対して偏見もなければ、
年齢、国籍、肩書、性別なんて関係なく、
1人の人間 "り〜な"として、
20カ国で出会ったみんなが私を温かく迎え入れてくれたのです。
これぞ、
北海道の田舎出身(釧路生まれ)の私が、日本の地方でやりたいことになりました。
「年齢、国籍、肩書、性別関係なく、ひとつになる。」
これは、日本の田舎から実現していく、
そして、次の世代に受け継いでいきたい。
学校の教育が合わなくったって、
世界は広いし、私たちの次の世代の日本人みんなに、視野を大きくもって欲しい。
もし合わなかったら、我慢する必要なんてない、環境が合うところに移動すればいいの。
選択肢がたくさんあるって、次の世代には知っておいて欲しい。
その上で、進路選択もできるはず。
だから私は、
私が日本一住みたいと思った街で、
世界中からノマドや起業家が集まるコミュニティ「とまり〜な」を始めました。
あなたが生きている世界は、学校だけでなければ、会社だけでもない、今入っている組織だけでもなければ、生まれ育ててもらった家族だけではない。
選択肢は、いくらでもある。
可能性は無限大!
現代は、年齢、国籍、肩書、性別関係なく、
誰もが好きな環境を選び、好きな時に、
挑戦できる時代であるはずだから
それを証明したい。
日本の中でも、私が最も住みたい、納税したいと思った街である高知県須崎市に
住民票を移し、
起業をした。
日本では起業するなら東京が一番良いと言われたりもしたけど、
敢えて、深刻な「震災前過疎」と言われる高知県須崎市で、成功事例を作りたい。
須崎市は、私が精神的に辛い時も助けてくれた街であり、何者でもない私を暖かく包み、私の目指す未来ヴィジョンに共感し、心から応援してくれた人が本当にたくさんいました。
ありがたいことに、今ではノマド誘致事業、政策アドバイザーをさせていただいています。
本当に感謝でいっぱいです。
地方出身として、自分も経験して、実際に見てきたことは、
地方で将来について悩んでいる若い世代がいっぱいいる。
須崎市での事業を通して、勇気や選択肢をたくさん、日本のみならず世界中の人々に、世代を超えて、シェアしていけたらいいなって
心から思っています。
あけましておめでとうございます☀️
今年もよろしくお願いいたします☘️