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99%世界はウソ【創作大賞2024,オールカテゴリ部門応募作品】


楽しみなことが二つもある。

一つは明日みんなと遊ぶ予定があること。どの服を着て行こうかどこに行こうか何を食べようか。明日のことを考えるとワクワクする。いろいろ考えてはいるが、当日になると結局いつもぐだぐだの行き当たりばったりになる。でもあのぐだぐだがなんとも居心地が良い。

もう一つは夜に推してる心霊YouTuberの配信があること。今回は心霊写真特集。この企画は特に大好きでずっとリアタイしたかった。お菓子とジュースもさっき買ってきた。今は液晶の前で配信開始をソワソワしながら待機している。

パパとママも若いころ、生放送のテレビ番組や深夜のラジオ番組を楽しみにしていたそうだ。テレビやラジオの何が面白いのかはピンと来ない。けどリアタイの“あの感じ”は、時代や媒体や世代が変わっても、人は求めてしまうようだ。

心霊現象の良さみとは何なのか。考えてもみて欲しい。これまで人類はありとあらゆる自然科学の大発見をしてきた。それによってテクノロジーは進歩し、さらなる大発見をし続けている。きっと今この瞬間も地球がひっくり返ってしまうような研究成果がまとめられ、やがて学術論文がScience誌に掲載されることだろう。今までわからなかったことがわかることで、今まで作れなかったものが作れるようになる。そうやってテクノロジーは日々発展をし続けている。

そう、心霊現象なんてものは今の科学技術でいくらでもフェイクが作れてしまうのだ。この世を呪う女の声が紛れ込んだポップス、神社の写真に写り込んだ大量のオーブ、苦痛に歪んだ顔に見える壁のシミ、あり得ない場所からこちらを覗き込む恐ろしい形相、片足が消えてしまった旅行写真…。それらすべてが今はスマホ一つでいとも簡単に作れる。ならば、フェイクだとわかりきってるものになんの価値があるのだろう。

実は、それこそが心霊現象の魅力なのだ。

なぜ写ったのかわからない写るはずのない人影。なぜ入ったのかわからない入るはずのない女のうめき声。そういったものの中に「ガチ」がある。自分レベルの心霊ソムリエになると、「ガチ」であろうものに稀に出くわす。こんなにワクワクすることが他にあるだろうか(いや、無い)。真偽のほどは定かではない。そしてそんなことはどうでもいいのだ。“フェイクであろうが「ガチ」だと信じたい”。

以前、心霊好きなことを男子にからかわれたことがある(※こいつ好き)。あんなものは怖くもなんともない。全部ウソっぱちだからだ。と。言いたいことはわかるしごもっともだ。しかし彼は気づいていない。彼もまたわたしと似たものに魅了されていることを。

例えば血液型占い。血液型と性格の関連に科学的な根拠はまったく無い。例えばとなりのトトロの都市伝説。それっぽい考察だが、ジブリ公式からは何もアナウンスは無い。その他にも漫画で大地震の予言がされてることや、中曽根内閣の陰謀論や、阪神が優勝することを信じてる。阪神は本当に優勝した。

これだけ多くの真偽不明の疑似科学や都市伝説や陰謀論があるのならば、その中にはもしかしたら真実もあるかもしれない。しかしながらそのほとんどはウソなのだろう。心霊好きだからこそ、わたしはそのことを知っている。

それらが根も葉もないウソであることの動かぬ証拠が発見されると、「やはりウソだった。こんなものに騙されるやつは愚か」「たとえ愚かであっても断罪されるべきはウソをついたほう」「許せない」などのキレちまった発言がSNSやコメ欄に散見される。そういったポストを見るたびに考えることがある。“ウソは果たして完全な悪なのだろうか?”と。

この世界はウソばかりだ。この間、貯金箱の中身の計算のために銀行に行ったら「詐欺にご注意!」というポスターが貼ってあった。人の優しさや愛や不安や「自分は特別なんだ」という意識につけこみ、ウソによって他人から資産や幸福を奪う。なんてやつらだ。心が痛まないのか。やはりウソは悪。弁解の余地も無く悪じゃないか。

わたしが日々考える「素敵なウソ」について語るために、まずは真実を知る必要がある。それは「サンタさんは本当はいない」ということ。パパとママはクリスマスの夜に真実を隠し、プレゼント用の大きな長靴の中に素敵なウソを置いていくのだ。このグローバル・スタンダードな年一ウソシステムを幼稚園のバスの中で言える人がいるだろうか。言えるならおめでとう、あなたは相当なサイコパスだ。

この世に産まれ落ちてから、人はこのウソだらけの世界を生きなければならない。そのうちに心の宝石は濁っていく。しかし濁ることで、一つまた一つと真実を受け入れることができる。透明なままでは真実の重さに宝石が耐えられない。

大人になるとは宝石が濁っていくことだ。しかし、どんな宝石もかつては透明だったのだ。サンタさんを待ち、遅くまで寝られなかったクリスマスイブの夜のことを、宝石は今も記憶している。

「今夜サンタさんが来てくれるかもしれない」「この心霊現象はさすがにガチ」「今年こそ阪神は優勝する」…。人は何かを信じるとき、ほんの一瞬、心の宝石が透明になってしまう。

そんなことを考えながら配信を見ている。なんてことだ。すごい。神回だ。年間ベスト10に2つか3つくらいランクインするのではなかろうか。そんなハイレベルな心霊写真ばかりだ。後々伝説になるであろうこの神配信をリアタイできたことを、ポテチを噛み締めながら噛み締めていた。

噛み締めの中、次の写真が紹介された。教室で撮影された女子高生たちの何気ない集合写真。既視感がある。どこかでこの写真を見たことがある気がする。よくよく見ると、前列の目線が黒く引かれている女の子たちは明日遊ぶ予定のいつメンたちに似ている。いや、似すぎている。さすがにこれは「ガチ」であいつらだ。たしかこれは一番後ろの自分の顔面の写りが悪すぎて、さすが心霊ソムリエとみんなにからかわれた写真だ。まさかと思う間も無くYouTuberさんは一番後ろの自分の顔面をアップで映し「明らかに」「ガッツリ」と連呼した。

本当に死にたいと思った。人前に顔面を晒されるならバキバキに加工しまくったフェイクでいたかった。しかしこれは無加工の真実。しかも同接1000人超えの配信で。こんな投稿をした犯人は間違いなく前列のこいつらである。なぜいつもふざけたことに全力を出すのだ。フェイクのロマンは同時に残酷な真実であった。

チャット欄は「こわい」「かわいい」「こわいけどかわいい」というコメントが洪水のように流れている。YouTuberはこの写真がいかに現実にはあり得ない顔面なのかというデリカシーの無さすぎることを真剣に語りだした。頼むからもうこれ以上死体を蹴らないでくれ。明度を調整するな。スパチャを投げるな。

怒りと恥ずかしさで感情がめちゃくちゃになっていると、スマホに通知が来た。

「👻ソムリエハピバ🎂投稿者Aから❤を込めて✌🙄✌」


今日は自分の誕生日なのだ。

学校で喋ってたときはみんな自分の誕生日を忘れてると思ってた。みんなからはいつも温かいものをもらっている。そんな恥ずかしいことは口が裂けても言わないし言えないが、本当にいつもそう思ってる。だからこれ以上「なんかくれ」と自分から言うのはちょっと気が引ける。そんなわたしの気持ちなどつゆ知らず、みんなはこんな素敵な誕生日プレゼントをくれた。

誕生日を覚えててくれて嬉しかった。さらに輪をかけて嬉しかったのは、「わたしが今日の配信を必ずリアタイする」と信じてクソみたいな投稿をしてくれたこと。まさかそこまで自分をわかってくれていたなんて。こんなに嬉しいことが他にあるだろうか(いや、無い)。ただでさえ怒りと恥ずかしさで感情がめちゃくちゃなのに、こんなにも大きく温かいものをプレゼントされ、胸がつまってしまった。キレ散らかしながら笑い散らかし、そして泣いてしまった。

明日みんなと会ったら、今日のことを思い出してまた泣いてしまうかもしれない。わたしをこんなに温かい気持ちにしてくれたことを、謝ってほしい。

わたしの誕生日に起きた「素敵なウソ」について語るために、まずは真実を知る必要がある。それは「わたしはみんなが大好きだ」ということ。

この恥ずかしい真実を、ウソつきのみんなに明日伝えよう。わたしの宝石はみんなのせいで、透明にされてしまったのだから。


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