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言葉より前の世界:なぜアートが心を捉えるのか
以前から、「素敵だな」、「好きだな」と思わせる文章を書く方々には芸術のバックグラウンドがあることが多いのではないかと考えていました。
この本を読んでその理由の一端が垣間見えた気がします。
画家、彫刻家たちは、言葉で仕事の輪郭をつくってから作品制作を始めるのではない。作品は雄弁だけれど、その雄弁さは、言葉なしで直接伝えられる。傑作に出会うと言葉を失って沈黙に誘われる。沈黙に浸ったのち、あの感動の正体は何なのか、言葉がさまざまに喚起される。
つまり、あくまで「芸術」が先に存在し、「言葉」は、後から喚起されるものだということです。そして、喚起された言葉によって次の関心へとつながっていく。
関心が膨らみ広がっていくと、少なからず言葉を呼び覚ます。自分のなかで説明する言葉が発生する。そういう言葉の発生は、関心の焦点をつくって、次にまた美術と出会うとき、いろいろな部分に新たな気づきが生まれる。そして関心の方向は多岐にわたり、関心の芽はその人の精神に根を生やす。
芸術のバックグラウンドを持つ方々の文章は、「なめらか」で「粒が細かく」、読むと頭の中に情景がくっきりと浮かび上がるような印象があります。以前からとても不思議に感じていたのですが、もしかすると芸術家は、頭の中にまずイメージや絵を浮かべ、それをそのまま「言葉の方に自然に降ろして」(「言葉の方から絞り出す」のとは真逆)文章を紡いでいるのかもしれない、とこの本を読んで感じました。だから「粒が細かい」のか、と。
ここ最近、私自身も、プロフィールに書いているとおり、なぜか急にアートに関心を持つようになり、美術館にも以前より頻繁に足を運ぶようになりました。特に明確な目的があったわけではなく、ただ「なぜだか分からないけど、アートが急に気になるようになってきた」という理由からです。
もしかすると、翻訳者として長年言葉を生業にしてきて「言葉から始まる世界」しか知らなかった私は、本能的に「言葉より前の世界」がどんなものかを知りたくなり、そのような世界のものに次第に関心を持つようになってきているのかもしれません。
「イメージによる思考(Denken in Bildern)は、言葉で熟考するよりも真に迫る。それは言葉による思考より古く、また同時に後者の思考から生まれる意識よりも強く人の心を捉える。」(パスカル・キニャール『はじまりの夜』)
アートへの好奇心がますます高まります。
とりあえずは本能の赴くままに進んでいってみようかな。