時を戻そう、新天地で強制自己隔離はつらいよ
コロナが流行るギリギリ前に私は日本を出た。
2019年に友人とオーストラリアへ行き、一度は住んでみたいと思ってから1年後には出発した。
もしあと2日到着が遅ければ国境が閉まり入れなかったが、今現在もまだオーストラリアにいる。
2020年3月、私はオーストラリアに到着した。
ただその時はコロナが流行り始めて世界中が混乱し始めた時。
運がいいのか悪いのか、オーストラリアに入国はできたものの入国日から14日間の自己隔離が必要だった。
私のオーストラリア生活でこの最初の2週間が1番辛かったと言っても過言ではない。日本へ戻ろうにも14日間の隔離が終了しなければ空港へすら行けなかったのだ。
当時、コロナが広がり始めた段階で隔離ホテルもなく自己手配をするしかなかった。シングルルームのある小さなホテルを予約し、そこで14日間過ごす予定となっていた。
まず、この当時は自己隔離中に外に出て見つかったら罰金というルールがあった。
州によって金額は異なるが、私が降り立ったQLD州はルール違反者には約100万円の罰金だったと思う。
100万円。とんでもないプレッシャーだ。
初めての土地、初めての海外生活、もちろん知り合いすらいない。
しかし14日間を乗り越えなければ日本に戻ることもできない。
私の当時の日記が見つかったのでピックアップしてみる。
1日目(到着日)
ゴールドコースト到着。出口までが長い。3月31日まで外に出ちゃダメと言われた。
ホテル(ホステル?)に着くと、レセプションの女性から陰性証明をもらってこいと言われる。言われたGPに行って聞くと違うところを案内された。次のGPに行くと「大きい病院しかやってないよ」とのこと。聞くとまあまあ遠い。simをまだ入れれてないのでそこら辺の人に道を聞きまくった。親切なおじさんが病院までの道のりを教えてくれた。
特に症状はないだったため、やっと着いた病院ではまさかの門前払い。しかしこちらも生活がかかってるので食らいつく。あまり話せない英語で、「ホステルの人が行くように言ったの。証明がないと戻れない。」と必死に伝えると、「コロナの症状がないため検査不要」みたいなことが書かれた証明書をもらうことができた。
初日からハードだった。
7日目
やっと1週間が経った。折り返し。。
相変わらずの情緒不安定さ。うつ病まっしぐらだこのままじゃ。
と思ってたら、明日ホテルクローズするから出て行ってと言われた。
もうお昼はとっくに過ぎている。
気のせいだと思って、「明日?クローズするの?明日に?」と何度も聞くが「Yes」との返事。
パニック。急な出来事に涙止まらず。
とりあえずエージェントに連絡。ブリスベンの日本大使館にも連絡。
エージェントから連絡あって、話を聞いてもらうと涙止まらず。笑
でも話を聞いてもらって少し落ち着いた。日本大使館から移動の許可をもらったし、次のホテルをエージェントが探してくれたので、明日移動することに。
エージェントを使っていて良かった。
8日目
10時前チェックアウト。
病院からもらった証明書を返してと伝え返してもらった。
一応移動許可はもらっているが何かあると嫌だし罰金は払いたくないので、ホテル側の都合で出るっていう証明書のようなものをちょうだいと言ったら「何のために必要なの?」とくれず。レセプションのこの女が終始*ソだった。
2度と使わないだろうけど、1週間ありがとうございました。
さて、次のホテルへ移動。
エージェントに無事に移動できたことを伝えて、残り期間分延泊することに。
久々に外に出られて気分転換になったのかなんだかスッキリした。
ありがたいな。
その後無事に14日間の隔離を済ませ、目的地のブリスベンまで移動できた。
2週間過ごしてる時に帰るべきかも悩みに悩んだが、とりあえずオーストラリアに残る選択をとった。
少し生活してみて無理そうなら帰ろうという気持ちだった。
それからあっという間に2年も月日が流れた。
あの時の選択肢で良かったのか今でも分からないが、それなりに稼いで生活もできてるので良しとします。
ビザが切れるまで残り少なくなってきたので、日本に帰った時のことも考えながら過ごしていこう。