地球最後の恐竜は、自分が最後って知ってたのかな?
2021年から、ビデオカメラで撮影した映像に音楽をつけて思い出として残している。「恐竜が教えてくれたこと」という映画のセリフから引用して「最後の恐竜」というタイトルをつけた。
この映画は「僕とテスの秘密の七日間」という児童文学が原作の映画。主人公のサムは11歳。末っ子。ある日、順番的に自分が家族で一番最後に死ぬことに気づく。「地球最後の恐竜は、自分が最後って知ってたのかな?」サムは、ひとりぼっちの孤独に慣れるための訓練をはじめる。テスという少女と出会い、彼女の計画に協力することになる。ざっくりこんなお話。Amazon Prime Videoですぐ見れる。時間が許せば視聴してほしい。
物語の中でサムがある老人と出会う。妻に先立たれ一人暮らしているその老人にテスは「ひとりぼっちで寂しくないのか?」と問う。それに対する老人の返しの一言が僕にも強烈に響いた。
当時、ぼくは29歳。何か用事が終われば、アイツ空いてるかな〜と、気軽に連絡を取りコーヒーを飲み、酒を飲み、飯を食い踊った。とても楽しい。しかし、なんとなく寂しい。20代中盤からじんわりと、疎遠になる関係が増えていた。だから、いくら楽しくても、いつかこの時間も終わってしまうのかなって考えるようになった。仕方ないよな。そういうもんだ。それぞれの生活があって、それぞれの事情がある。終わりがあるから素敵なんだよな。ほんと・・・わかってます!わかってるけど!ねえ?さみし〜〜〜〜〜〜!!!セブンに寄って買ったポカリスウェットを開けて、フジファブリックの名盤「CHRONICLE」を聴きながら家路についていた。(エイプリル、だいすき〜)
そんな時に、この映画を見た。この言葉に出会った。たしかに。ほんとだ。さみしいなら思い出を集めよう。誰にも会わない未来は今のところ想像もできないけど、10年後、20年後、50年経っても確かにこの時間があったことを感じたい。おれたちめっちゃ楽しかったんだなって思えたら、すごく嬉しいだろうな。
タイミング良く、興味があって買っていたDVDカムで、この失われる予定の日々を焼き付けることにした。DVDカムは重いし、エラーも起こしまくりで記録できてないこともあったけど、その至らなさも人間っぽくて気に入っていた。(今は、SDカードに記録するものになっている。これはカタチがかっこよくて、お気に入り)記録した映像は、できるだけ毎月、1分くらいの動画にした。一曲書いて、音に合わせて編集する。何かコンセプトを持ってつくっていたわけではないけど、続けていくと不思議と自然に、輪郭みたいなものができてくる。矢継ぎ早にカットする手法が、図らずも走馬灯みたいになっている。記憶っぽくていい。断片的で、都合のいいとこだけ覚えてる感じ。でも、その裏側にあった気持ちも、物凄いスピードで思い出す、あの感じ。
「最後の恐竜」を始めてよかった。まず見返すのが楽しい。そりゃそうだ映っているのは、好きな人ばかりだ。最高に決まってる。そして、予想外の効果もあった。自分の考え方にもとても良い影響があったのだ。
映像の中には、今とても大事な人も、疎遠になった人もいる。きっとタイミングや色んな理由によって、大事になったり疎遠になったりするんだろう。人間関係は惑星みたいなもんだ。それぞれの周期で自転と公転をしながらぐるぐるまわる。合わない時は合わない。でも、逆もある。何度も出会い直せる。また楽しい時間を過ごせる。だから大丈夫。合わなくて会わなくてもあせることない。そう思えるようになった。
昨日、32歳になった。厚かましくも長生きするつもり。この文章の中でも当たり前に「50年後」とか言ってる。末っ子として、できれば家族は全員見送りたいし、友達も見送りたい。
これからも、思い出をできるだけ残して、さみしくなったら見返す。あなたといた記憶を僕にとって都合の良い記録にして残していく。
「地球最後の恐竜は、自分が最後って知ってたのかな?」知らないでいてほしいな。遠くにいる恐竜を想って、あいつ何してんだろ会いたかったな〜。とか思っていてほしい!今年もたくさん思い出ができたらいいな。きっと楽しくなる。
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