13歳の自分への手紙

本日でポケモン金銀が発売されて20年経ったらしい。

そんな日に兼ねてからやってみたかったブログ的なものを書き始めるのはなんと幸先の良い事か。
なんて日だ。




私が小学4年生の1996年、ポケットモンスター赤・緑が発売された。
流行やメディア・漫画・ましてやゲーム等に全く興味がない親が"そういったもの"から意図的に距離を取るように育てていた私からの視点ではあるが
発売されてすぐはそんなに流行していなかったように思う。

しかし、子供の目から見たらちょっぴりセクシーなお姉さんがベンチで座るお年寄りにポケモンしようと誘う謎のCMのインパクトは大きかった。
それにより"ポケットモンスター"というゲームが"2バージョンで"発売されるという情報は持っていた。



私が実際にポケモンが欲しいという意思を親に見せたのは発売から1年程経過してからだったと記憶している。

ゲームボーイの本体は5歳の頃、祖父に病院に連れて行って貰った帰りに「病院で良い子してて偉かったでしょ、買って」とねだって買って貰ったものがあった。その後祖父が母に叱られていたのも覚えている。
(なのでお弁当箱のような初期型のものであり、その後金銀の時代になろうとも我が家にゲームボーイカラーが来ることはなかった。)

そして、ポケモンが欲しいと言った時の親の反応も当然ながらNOであり、頼れる大人は祖父しかいなかった。即頼み、即買って貰い、祖父は即叱られていた。


そこから先の小学校生活はポケモン一色であった。
通信ケーブルを持っている友人はいたものの、中学受験があったので友人と遊ぶという事が出来ず、勉強の合間にゲームをクリアしてデータを消してもう一度最初から別のポケモンを仲間にして…という事を何度も何度も繰り返した。

当時の自分にとっては初期型ゲームボーイの画面の中に広がる世界こそが、外の世界だった。実際に旅をするように一杯メモを取って、自分の旅ガイドを作りながら、何回も何回も世界を巡った。


余談なのだが、勉強の合間に…と言いつつもついついプレイ時間が過ぎてしまい、母にゲームボーイ本体を投げられ、縦方向に真っ二つに割れたのだが
綺麗に合わせて紐で括り付けて固定したらその後もプレイのし難さこそあれ
どちゃんと動いていた。任天堂の仕事すごい。




そして中学受験を無事に終え、もうすぐ一年が経とうとしていたころに発売されたのが、件のポケモン金銀である。
「”ポケモンツー”が出る」という噂は小学生の頃から耳にしていたので、祖父が怒られないよう事前に親の許可も渋々ながら得た上で、祖父に予約してもらっていた。

しかしながら発売日が奇しくも何かの模試かテストの直前であり(我が家ではテストの2週間前からが「直前」という扱いであった)それが終わったらの受け取りとなった。買うことを許されたのだから多少は仕方あるまい。


そして当然、勉強の合間に遊ぶことになるのだが、
進学した学校は隣市であり、同時に隣市の塾に夜遅くまで通い、更に在宅中も親の監視下で机に向かう生活だった為、小学生の頃よりも更にゲームをする時間というものが無くなってしまった。

カント―地方も含めたクリアまではちゃんと遊んでいるものの、実はそんなに同世代のポケモン好きと比べても金銀の記憶は濃くない。
というよりは、その頃の記憶で今残っているもの自体が本当に少ない。あんなに机に向かっていた事の1%も覚えていない上に、ゲームの事も深く覚えていない。




その後ポケモンは"対人"という遊び方が研究され、栄えていくのだが
私の中でのポケモンは「中世でもなくファンタジーでもない舞台を子供が一人で歩き、仲間と共に成長するRPG」という認識のまま
20年が経ち、最新作・シールドを黙々と遊んでいる。


(※対人としてのポケモンを否定する意図は一切ないし、実際興味もあるが、覚えることが多すぎる上に"裏をかく"のが苦手な自分には無理だろうと思っている。人狼ゲーム等にも向いていない。)


お昼ご飯はインスタントだがカレーにした。仕事が休みなのだから、自宅というキャンプでぐうたらゲームする幸せを噛み締めたいのだ。

ポケモン自体はそれからも(少し後になることもあったが)ずっと遊んできたのだが、BW2以降、XYとサンムーンの時は少々離れていた。
理由は転居の際に今まで大事にしてきたポケモンを集めていたロムカセットを紛失したショックからである。(当時もまた色々あり、紛失の原因は自己管理以外の部分が大きい為)

ようやく吹っ切れたのだろうか、数作ぶりのポケモンはとても楽しい。
とにかくプレイヤーに親切になったように感じるし、登場人物も基本的にみんな優しい。なんて優しい世界。
気を抜くとワイルドエリアから離れなくなってしまう自分をなんとかストーリー本編上に戻しながら、もうすぐストーリーが終わる頃合いである。




…と、こうして過去の事も冷静に振り返ることが出来るほどに時は流れた。
親元も離れてどれくらい経っただろうか、義務以外の時間に好きなだけゲームができるようになったし、親とも一定の距離を保ちながら仲良くできているようには思えている。

それでも、13歳の頃の私へ贈る手紙にしたためる言葉は未だ見つからない。

自分の忘れ物はどこにあるのか。少しずつ胸の内を、気が向いたときに書き連ねていけばいつか見つかるのだろうか。

見つかった暁には、書き記したnoteが「13歳の私への手紙」になるのだろうと、淡い期待を込めて
この度小さな場所の開設を決意した…訳であります。

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