婚活を始める前に、一夫一妻・異性婚というフレームワークの限界について考えておきたい
「病めるときも、健やかなるときも」永遠の愛を誓う結婚式においては、家庭生活における男女平等の固き誓いについては一切の言及がない。
新婦はケーキを大きなスプーンですくい取り、それを新郎の口に運ぶという演出(※)は、結婚というものが男女それぞれをジェンダー構造化されたシステムに閉じ込めるものだということを示唆している。
(※)ファーストバイトとよばれ、一生あなたに美味しい食事を作ります、一生僕は君を食べ物で苦労させません、という意味が込められる
結婚というものは従来、経済的・政治的互恵関係の構築を目的とした親族の繁栄がその中心的意義にあったわけで、そのためには世継ぎを産むことが妻の至上命題であった。子孫繁栄の実際的価値はなにもお侍さんだけの話でなく、農民における労働力の確保という点でも同様であった。「結婚=子供を産むこと」という図式は、現代でこそ短絡的・限定的に過ぎるものだが、愛情を基軸に家族をなすという形態に取って代わったのは、歴史上ついぞ最近のことである。
この国では一夫一妻・異性婚を条件とした婚姻のみが認められており、重婚に至っては刑罰の対象となる。不倫は夫婦関係が破綻している場合でなければ民事的責任の対象となりうる。誰と結婚するか、誰を好きになってよいかを国家に認可される必要があるということだけでも奇異に感じられはするが、人々が生活単位を構成する前提条件を制限する慣習はかつての時代の名残であるのかもしれない。
ところで、婚活が盛んである。伴侶とはなんであろうか。
震災婚などといって、自然災害の後に結婚に至るケースが増える現象に注目が集まったことがある。自然災害は人を孤独にする。それによって失われるものには、なにひとつ同じものが無いからだ。被災者とそうでない人との間、あるいは被災者どうしの間にさえ、決して共有することのできない深い悲しみというものがある。こういった状況の中で他者と生涯をともにする誓いをたてるということが、現在の悲しみに圧倒され、過去の記憶に沈み込んだ意識を、未来に向けさせてくれるものであったかもしれない。震災婚はあの当時の私にとっても、希望を抱かせてくれる数少ないニュースであった。
人々が直面する苦悩には、自然災害や戦争のように一斉に生じる出来事だけでなく、個人レベルで誰にも気づかれないような状況のなかで、ひっそりと生じるものもある。その苦しさはだれにも共有することができない。深い孤独の中でそれを分かち合える他者と出会えたとき、もっと深く心に触れあいたい、その人とずっと一緒にいたいと思うことは、精神をそなえた人間としてごく自然に沸き起こる感情ではないだろうか。
そういった相手が、異性でなければならない理由はない。
しかし、ここで疑問が生じる。例えば深い絆で結ばれる女性同士がおり、やがてそれぞれが異性と結婚して家庭生活を営むようになったとしよう。彼女らはそれぞれ「たったひとりの夫だけのために」家庭に奉仕することを(社会的に)要求され、心の伴侶ともいえる友人と時をともにする機会は大いに犠牲にさせられることであろう。家庭における性役割というのは、いかなる人間関係よりも優先することが暗に求められる。医療ひとつとっても、家族の意思というのは本人の意思に次いで重きを置かれるものであり、その家族というものがどれほど本人のことを知っていて、一人の人間として尊重しているかということは、一般的にはあまり考慮されることがない。
さて、内閣府の調査[1]によれば、配偶者からの暴力(身体的・心理的・経済的・性的暴力)を経験している女性は約3人に1人、男性の約5人の1人の割合にのぼる。暴力的関係が生じると、被害者が被害を自覚しにくくなるというのは老若男女に無関係であるが、被害者になりやすいのは圧倒的に女性のようである。それを目撃している子どもたちの規模も相当であるはずだ。
これで、結婚は愛をもってなすものなどと、一体どの口がいえるのだという話である。
DVは必ずしも単一要件によって生み出されるものではない。その背景には加害者の心理的事情のほか、社会状況やそれまでの夫婦の関係性など様々な要素が複合的に関与する。しかしこれだけの人々が、結婚によって生じた苦しさに直面しているのだと思うと、人の結婚式に呼ばれても心からおめでたい気持ちになることはできず、むしろおめでとうと言うこと自体が無責任なのではないかという気さえしてくる。
やはり、現行の結婚制度には少々無理があるのではないか。
べつに、同性婚のカップルでは暴力が生じないだろうなどとは言っていない。しかし、一夫一妻・異性婚という極めて閉じた人間関係を強制されることによって、その内部で生じたトラブルから逃げ出すことが困難になるという状況は十分にありうる。
婚活を始める前に、なぜその制度に入ることを望むのか、よくよく考えておきたいものだ。
[1]内閣府「男女間における暴力に関する調査(平成29年度調査)」