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東北新幹線

バイトを終えて、東京駅に向かう。帰省する日まではいつも早くその日が来ないかなと楽しみにしているのに、東京駅に向かっている途中でだんだん帰省が面倒に感じてくる。バイト終わりで東京駅に向かうワクワクした気持ちは、帰省が楽しみなのではなくて、いつもと違う帰り道に浮かれてるだけなのかもしれない。だけど夜の新幹線の疲れた空気の車内は好きだ。日曜日の夜は程よく空いている。

イヤホンから「もう一度やり直せても同じことを選ぼうと思う」という言葉が聞こえてくる。そんは風に思えることが自分の中にいくつあるだろうか。飛翔、と歌い上げるえっちゃんの声がわたしを焚きつける。ほんとうにいい歌だな、と思った。

上京してからもう何回も東北新幹線で東京仙台間を行き来しているのに、東京から郡山って意外にすぐなんだな、とか思ったりする。ビールは乗る前にほとんど飲み切ってしまった。寝たいのに眠れない。高速道路の明かりがめちゃくちゃきれいだった。東北に差し掛かってから窓の外はドラッグストア、ラブホテル、ガスリンスタンドだらけ。

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帰省するときに感じるモヤモヤについてずっと考えていた。何が自分の心のストレスになっているんだろう。昔は実家に帰るのが楽しみだった。得体のしれないモヤつきの正体が1年半くらいずっとわからない。新幹線の車内であれこれと考えてみるけど、自分の気持ちがよくわからないままだった。外の景色はびゅんびゅん流れていく。

仙台駅に近づくにつれてだんだん知ってる景色になっていく。仙台駅に着いて、新幹線が止まる。
改札の向こうに迎えに来てくれた母親の姿が見える。改札を通った瞬間に、ひとつわかったことがあった。わたしはこの人の”娘”という肩書きがあるんだということ。

仙台にいる自分には、娘や長女、妹、どこ保育園、小学校、中学校、高校出身で、どこの家の子で、親の職業が〜の子供、などの、自分に貼られたレッテルが多く存在している。これらの肩書きが私には必要のないもので、少し苦しい。もしかしたらわたしは、東京で、そういうものから離れた場所で、1から生活を始めたかったのかもしれないなと思った。

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改札を通った瞬間にそういうフィルターが自動的にかかったような感覚になった。そういう肩書きによって何か不幸だった経験は特にない。でも誰かにとってはたかが肩書きかもしれないが、わたしにとってはされど肩書きである。肩書きは時々人を縛る。色んな名前や肩書き、フィルターを通してわたしを見てほしくないなと思う。當山直花という名前、1つだけでいい。

自分のことを直接そういうフィルターを通して見てくる人はたぶんもうあんまりいないし、思い込みかもしれないけど、仙台で感じるモヤつきの1つはたぶんこれだなと思った。

まだまだ悩みの正体はすべてわからない。親とのコミュニケーションや、素直じゃない自分のこと、身内との自分と友達との自分の違い、とか、様々なことが複雑に絡みあったまま、この一年半くらい放置してきてしまった。この2週間で、自分の気持ちの正体を掴めたらいいな、と思いながら実家まで歩いた。

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こうして書いてみても、まだまだ言語化できていない。自分の気持ちに近づけたような、でもちがうような気もしたり。分からないことと向き合うのは疲れる。だけど今の、曖昧な過程を残しておこうと思う。




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