敬天愛人
昨日は、第4回敬天愛人練武大会でした。
まず一言。
最高でした。
『天を敬い、人を愛する』という由来通り、敬意と、慈愛に満ちた空間。
他者を蔑んだり、陥れることなく、お互いを高め合う場所でありました。
私は、出場選手として参加しました。
実は、この大会に至るまで、17年の歳月をかけたチャレンジでありました。
そのザックリとした流れをどうぞ。
【Road to 敬天愛人】
・17年前、ボクシングのプロテスト直前に、練習中に脳梗塞で倒れ、右片麻痺となった。
・その時の病院が、敬天愛人会場の錦糸町にあった。
・諦めきれず、リハビリを続けた施設でハヤテと出会い、友達に。
・リハビリの結果、競技復帰したが、制度上プロになれなかった。
・障がいを強みに変えるため、理学療法士となり、脳卒中フェスティバルというイベントを開始。
・ハヤテの誘いで、コロナ禍で暗い世の中に、エンタメで光を!を合言葉に、映画「ファーストミッション」を制作。
・それがキッカケでYouTubeを開始、さまざまな達人の先生と関わらせていただく。
・北川先生、ハヤテの声がけで敬天愛人出場が決まる。
・古巣のボクシングジムにて、14年ぶりに練習再開。
・かつての同僚や先輩に指導してもらう。
・アクシデントで、大会3日前に肋骨骨折、足趾亜脱臼
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【敬天愛人当日】
・アクシデントで対戦相手が変わる。
・いよいよ本番。家族も観戦。ハヤテ、北川先生が解説。
・対戦相手のアントニオさんが、忖度なく闘ってくださる。
・なんとか勝利し、ハヤテと抱擁。
・家族の元に行くと、娘(4歳)が人生初の嬉し泣き。
・観戦中、娘が「しんじてる!」「あきらめなければまけじゃない!」と言っていたことを知る。
・たくさんの方々に、「勇気をもらった」とお声かけいただく。
・閉会式で、2回も表彰され、賞状をいただき、リングネーム(ビルス・純・ハメド)じゃなく、本名で出ればよかったと、心の底から思う。
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私の初挑戦は、こうして幕を閉じました。
17年前にリハビリしていた施設でハヤテと出会い、お互い当時は何者でもなかった。
その後、彼はパルクールをはじめ、免許皆伝の剛柔流空手を活かし、俳優・演出家に。
私は脳卒中患者だった理学療法士となり、病院勤務しつつ、イベント主催者に。
交わることのない道が、コロナ禍をキッカケに『映画ファーストミッション』で繋がった。
その縁で始めたYouTube。
知り合った達人の方々のご縁で、敬天愛人の出場機会をいただき、
たくさんの人のサポートにより、家族や仲間の前で、最高の自己表現ができました。
17年前、生死を彷徨った錦糸町で、生命を燃やして闘えたこと。
本当に、関わって下さった全ての方に、感謝しています。
ありがとうございました。
娘ちゃんには、少しでもいい思い出となっただろうか?
いつもサポートしてくれる妻には、少しでも恩返しとなっただろうか?
発症当時、錦糸町に悲しみとともにお見舞いに通ってくれていた母の記憶を、少しは上書きできただろうか?
敬天愛人。
素敵な機会を、ありがとうございました。
👇敬天愛人オンライン配信
※試合は5.00.40〜
※表彰式7:08.07〜