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ハダカ

衝撃的なタイトルです(笑)
大丈夫です!安心してください。

今日は小学校1年生の時に結構傷ついた話。

『え、おまえ、ハダカ?』

入学してすぐ男子から言われた。

考える。

こいつ、私が卒園した幼稚園を馬鹿にしているな。
どんな幼稚園だったのか知らないくせに。
お坊ちゃまぶって。
ばか!

小学校1年生だからこんなにボキャブラリーはなかったと思うが、
かなり傷ついたわい。


私は3歳の時に金沢から海沿いの町に引っ越してきた。
転勤族の父だったので、引っ越しはこれで5回目。
それも父は忙しかったので、荷造りは全部母がやっていたそう。
お母さんスゴイ。


母から聞いた話。

町には2つの幼稚園があった。
母は『ハダカ』なんてとんでもない!といわゆる普通の幼稚園を選んだ。

母が金沢から電話で申し込み、現地では父が願書を提出した。

父にまかすな(笑)

すっとぼけた父は、何を思ったか『ハダカ』に行ってしまったのだ。

でも『ハダカ』の先生も素晴らしい対応力!

『ハイ、聞いてますヨ。ま〜よくいらっしゃいました。ささ、どうぞ!』

職員室へ入る際、園庭で走り回る子どもを見て父も度肝を抜かれたらしい。

『え、ハダカ?』
(あ、ご注意ください。下はちゃんとはいてますよ!小豆色の半パン。)

しかも妙に人なつっこく、目はギラギラ、鼻水カピカピ。

『おじちゃん、何しにきたん〜』

『・・・・・』

『ま〜金沢から。大丈夫ですよ。みんな心も体も強くなりますから』

その時多分父はこう思っただろう。

『お前(母の事)、気は確かか?』

実は今でこそ医者しらずな私ですが、当時かなり体が弱かった。
大事な行事の前後、必ず熱を出していたらしい。
そんな娘に『ハダカ』になれというのか!

父は急いで帰宅する。

『お前、なんかすごい幼稚園だったぞ。目はギラギラ、鼻水カピカピ、わしに寄って来る。先生はよかったけど』

母はなんのことかわからない。
『中央公園の方に行ったんでしょ?』

『いや、パン屋のとなり』

そう、父はもう一つの方の幼稚園に出してしまったのだ。
わたしとしては結果オーライなんだけど。

母はお詫びして普通の幼稚園にしますと言いに行きたかったが、
父がまあいいじゃないか、いい先生だった。お任せしてみようということになった。


わたしの『ハダカ』が始まった。

『ハダカ』は外での活動がとにかく楽しかった。
保育室で何やったかあんまり覚えていない。
記憶が鮮明に残っている。

『ハダカ』でキャンプ。
『ハダカ』でお店やさん。
『ハダカ』でお泊り保育。
『ハダカ』で運動会。
『ハダカ』で乾布摩擦。
『ハダカ』でマラソン大会。
『ハダカ』で豆まき。
あ、安心してください!冬は服着ます。


まだまだあります。
親子での活動も多くて、大好きな両親との思い出になっている。
学年を越えての交流も楽しかった。

『ハダカ』で強くなった心とカラダ。


もっと感謝していることがある。

何かやる時、まずは自分でやってみる、たくさん失敗する、自分で考える、
みんなと協力する、何度も挑戦する、くやしいと思う心、すごいなと思う心応援する心、、など身についた。

鮮明に記憶に残っている思い出。
ところどころ話した内容も覚えている。
しかもカラーで。

それらを先生方は形に残すために、紙ファイルにすべて手書きで、写真を貼って卒業アルバムを作って下さった。№3まであったと思う。
おそらく紙150枚以上。


よくある写真屋さんが作る硬い表紙でモノクロ写真じゃない。
めくるたびに、かび臭いけど懐かしい思い出。

今ではすっとぼけた父に感謝している。
ありがとう!

園舎は建て替えられたらしいけど、また思い出に会いに行ってみよ〜。











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