知識は富なり
2023年の冬、歯科医師国家試験の勉強が佳境を迎える中、ある講義で心電図について学ぶ機会が訪れた。専門分野として必須とは言えないが、いくつか覚えておくべき波形があるためだ。その時、単なる波形がこれほど多くの情報を秘めていることに驚き、急激に深い興味を抱くようになった。心臓という臓器は外から見ることができないが、電極を用いることでその病態を理解できるというのは実に感動的な体験だ。例えば、心臓の電気信号がどこで障害されているのか、心筋梗塞の場合はどの血管が詰まっているのかを特定できるのだ。
その魅力に心を奪われた私は、その日の国試勉強を一時中断し、思いつきで「心電図検定」が実在するかを調べてみたところ、実際にその検定が存在することが分かり、興味がさらに湧いてきた。歯科についての学びを深めるべき時期であると感じつつも、心電図検定を受ける意欲が止まらなかった。
とはいえ勿論国試までは歯科に専念していたが、「国試が終わったら心電図検定を受けるつもりだ」と周囲にも宣言したことがあるほど、心電図検定への熱意は高まっていた。しかし、国試後すぐに旅行の計画や引越し、いきなり病棟勤務の始まりが重なり、心電図を学ぶ時間が全く持てない日々が続いてしまった。
そんな中、心電図を再び学習したいと感じたきっかけが訪れた。それは5月頃病棟期間に体験した出来事だった。
担当した患者さんが入院前から心房細動の波形を示し、術後もその状態が続いていたのだ。心房細動では特有のf波が心電図に現れるなど特徴的な波形が見られるのだが、私はその波形を全く読み取れていなかった。そんな私をよそに、上級医や二年目の医師、看護スタッフが当たり前のように「これは心房細動ですね」と診断する様子を見て、私もそのレベルに達したいと心から思った。
6月に入ると忙しい病棟勤務が終わり外来に移行することで、趣味に費やすことが出来る時間が増えた。そこで心電図検定の勉強を本格的に始めることにした。とはいえ、臨床で活かすことを目的とするのではなく、純粋に趣味として楽しむ感覚が強かった。心電図の知識を得たからと言って、それが直接臨床に役立つとは限らないが、単に面白いから学ぶという気持ちが根底にあったからだ。
映画を楽しむ人々がいるのと同様に、私にとって心電図検定の勉強も趣味の一つであり、楽しみながら取り組んでいる。
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私の専門は歯科であるが、心電図は直接的には関係のない分野である。それでも、なぜ心電図を勉強したいと感じるのだろうか。この興味は、高校時代に理系の私が古典文学に惹かれ、『徒然草』を図書館から借りて熱心に読んでいたことに通じるものであると思う。どんなテーマであろうとも、興味を持ったことを深堀りすることは決して無駄にはならないと信じている。むしろ、たとえ直接的に役に立たないことでも、学ぶことは自己成長に繋がるのである。検定に合格すれば、自分が努力できる人間であるという自信を得ることができ、さらには新しい視点をもたらしてくれるであろう。学びは専門分野を超えて、私の成長と発展に大いに貢献していると実感している。
心電図検定の日が近づく今日この頃、私の心電図に対する理解は飛躍的に増し、その魅力を再認識している。しかし、実際に自分の実力がどの程度になっているのかということが試される瞬間が迫っており、その期待と不安が交錯している。
試験日は12月22日、今週末だ。試験を終えた後、満足のいく手応えが得られることを期待しており、その後は気持ちよくM-1を観たいと思っている。
またここ最近は特に心電図の勉強に注力しすぎたので、検定が終わったあとはその分歯科の勉強にも力を入れることをここに宣言しておきたい。