毒を持ったお母さん...
これは私の体験話です。
私が感じたことを素直にここにかきます。
違う視点からしたら、また違った感じ方になるのかもしれませんが、今回は他では無いわたしが、感じたことをかかせてください。
これは元旦の日の出来事です。
私はその日、アルバイトの予定がありました。
人間関係も良好で、仕事内容も自分の好みで納得のいくもの。短期でのアルバイトだった為、1日1日を大切にしたいと思っていました。
出掛ける準備をして、さあいくぞ!という時に1つのトラブルが起こりました。私は原付で勤務していたのですが、原付を出庫するには兄の車が道を塞いでおり、どうしても動かせないのです。我が家の間取りからいってそれは当たり前のことで、始めは「ああまたか」という感覚でした。
「お兄ちゃん。」私は兄を起こしに行きましたが一向に起きる気配がありません。私自身、免許を保持していますがペーパーなので、車にエンジンをかける工程でもあやふやです。「とりあえず、バイト先に電話しないと!」しかし、バイト先は開店前の為繋がらず、また、事務所の直接の番号を聞きそびれていたことにここで気付きました。
「〜〜!!!」もともとADHD傾向の私にはこういう事はよくある出来事です。しかしここで悲劇が起きました。母が起きたのです。「あんたは人ばっかり頼って!自分が悪いのよ!また遅刻するの!?ちょっとこっちに来なさい!」母が覚醒した瞬間から静寂なはずの住宅街が一気に火事現場のようになりした。第一今日は元旦です。
母は「ちょっとこっちへ来い!」と言って私の手を引っ張って外の車のところへ連れて行きました。「1番!これする!2番!これする!違う!これ!これはこうでしょう!?!」鬼の形相で怒鳴り散らし、「ああまた始まった...本当に恥ずかしい。」という気持ちで一杯でした。母はヒステリックな性格をしていて、朝や晩、スーパーや親戚の場など、時間や場所に関係無く、スイッチが入ると一生懸命私に叱りつけ、干渉し、命令をします。このような事はしょっちゅうで、幼い頃は友達との約束が果たせなかった事も、恥ずかしくて悔しくて泣いた事も沢山ありました。しかし私の能力の低さや不器用さを差し引いてもあの行動は異常です。第一私は今、23歳です。
私はこの日のアルバイトを諦めました。「ああ。もう無理だ。こんな気持ちで行っても。休もう。」そんな事を胸の内で思いながら、母の熱心な指導は続きます。「はい!これが一連の流れ!もう一回初めから!!」これを大声で元旦から私の名前を呼びながら叫ばれる気持ちを、アルバイトに行けず情け無く思う気持ちを、みなさんは理解出来ますか?
その後、家に入ると「今ここで手順を書きなさい!あんたはADHDなんだから!私の見ている中で!忘れないうちに!今すぐ!!」
おいおい...。そもそもアルバイトに行きたくて、だから原付を出庫したくて、だから車を移動させたくて...。しかしこうもなってしまった母は誰にも止められません。ご近所さんもよく察しておられます。家族も、兄も。兄はそんな可哀想な母をなだめては私が悪い、と言うのでした。
父とは離婚していて、母、兄、私で暮らしています。はやく自立して一人暮らしを始めたのも、この環境から抜け出したかったことが一番大きな要因です。しかし職場でも上手くいかず、若くして退職した私には一人暮らしを維持できるお金はありませんでした。なので泣く泣くこの家に帰ってきたのです。
母は母(祖母)の事も嫌います。毒親、にまつわる文献を沢山読んで、そこから絶縁(本人にとっては)する形となりました。母自身、被害者意識が非常に強く、常に幸せな人や誰かの悪口を言っています。兄弟の中で母は差別された側の人間だったようです。加えて、私自身ADHD(のび太型)なのですが、母もADHD(ジャイアン型)でしょう。
ここまで読んで下さった皆様、私のつまらない日常を見て下さってありがとうございます。
少しでもお金が貯まれば、直ぐにこの家を出ていくつもりです。
今日は元旦。深く傷付いた元旦でした。
皆様にとって素敵な一年になりますように。