スタッフ紹介 Vol.10 ~スタントマン・宮本秀樹さんインタビュー~

今回はスタントマンをされた宮本秀樹さんのインタビューをお届けします。

左から「アクションチームJ-ONE」代表の屋宜(やぎ)一隆さんと、
宮本秀樹さんです。
福岡の専門学校や劇団でアクション指導をしたり、
殺陣師などもされています。
今回は階段落ちのスタントをされた宮本さんにお話を伺いました。


●映画「なつやすみの巨匠」に参加されたきっかけはなんですか?

ななちゃんつながりで(主人公の姉の友人、深町紗英役の野中ななみさんが
こちらに所属しています)。
スタントの人を探していたとのことで。


●どうやったらアクションの仕事に就けますか?

好きなことをやり続けた結果、今ここにいる。
なんでもそうだと思うけれども。


●アクションチームを作った経緯を聞かせてください。

18歳くらいの時に代表の屋宜(やぎ)と作りました。

僕は子役として児童劇団にいて、屋宜(やぎ)さんは「テアトル博多」という劇団の研究生だった。
僕より3歳上なので、大人が所属するところにいて。
屋宜(やぎ)さんは元々ダンサーだったけれど、
バク転できる奴がいるっていう僕の評判を聞いて、
「じゃあ、俺もやってやろう」って、アクションの方に来た。

所属している劇団は違うけれども、アクションがある舞台で屋宜(やぎ)さんとよく共演していてライバルだった。
だからその時は仲良くなくて。


●代表の屋宜(やぎ)さんはダンスをされていたんですね(^^)

僕もやってて。
キャリアは僕の方が長かったので、共演の時に屋宜(やぎ)さんにダンスを
教えたり。
そうやって舞台でちょこちょこ会っていて。
僕も18歳になったので屋宜さんのいる「テアトル博多」に入って。
そこにもう1人徳永さんという人がいて。そこでアクションできる3人が
揃った。
福岡でアクションする人が、その時はあまりいなくて。

当時はアクションといったら時代劇ばかりだった。
時代劇も大事だけど、僕達はもっとアクロバティックなアクションを
やりたかった。好きだから。
そこでその3人で「アクションチームJ-ONE」を作りました。


●そこからどうやってアクションの仕事を掴んでいったのですか?

屋宜(やぎ)さんからは「講師の仕事をもらうために電話帳を見ながら
営業 の電話をかけていった」と伺ったことがありますが…。

今までのつてが大きかった。そこから仕事をもらって。


●では、やりたいアクションというのは?

香港アクション、ジャッキー・チェンみたいなことを舞台でやる。
というのが目標!!!


●J-ONEさんは外部出演だけではなくて、主催で舞台公演もされていますよね?依頼された仕事だけではなくて。
 
ある日、ジャッキー・チェンの映画にヒロインとしてたくさん出演していたシンシア・ラスターさんが、僕達のホームページを見て稽古にこられて!
そこで一緒にアクションしないかと声をかけてもらって。
そのつながりで香港に行って。
フィリピンや東京にも行った。
特に外国に行ったことで自分がちっぽけなことを知って。
日本の良さもわかって。
福岡に帰ってきてから年1回公演しようとアクションを中心とした舞台を
作り始めました。


●行った先で留まる道もありましたよね?せっかくアクションの本場に行ったわけだし。

フィリピンでも住んでいいと言われたし、東京でも残れと言われたけど、
僕は福岡でなんかしたい。
ここ、福岡で!!!



「福岡で」という宮本さんの気持ちを伺いながら「なつやすみの巨匠」で
インタビューさせていただいた他の方々からも、気概や福岡に対する誇りを
感じたことを思い出していました!
そういった福岡への愛情もこの映画を通して伝わったら嬉しいな
と思います(^^)♪


文章: 中島栄子(アクションチーム J-ONE)
管理人:菅原玲子

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