Honey Bee 「狼青年」 歌詞考察
Honey Beeの「狼青年」がやばい。
女王蜂の薔薇園アヴによるプロデュース楽曲×東京ゲゲゲイのMARIEによる振付、「狼青年」。
同作品はYouTubeに唐突にアップロードされたその日に、急上昇ランク2位にまで上り詰めた。
PVではちょくちょく顔が見えそうで見えないソロカットもあるが、基本は赤いフードを深く被り更には赤いマスクも着用している。PVを見ても素性が分からない、そんな謎に包まれた正体不明のボーイズグループ、Honey Bee。
東京ゲゲゲイのMARIEによる、指の先まで神経を張り巡らせたような振り付け、それに応えつつ高い歌唱力を誇るHoney Beeだが、今回は “歌詞” にフォーカスを当ててみたいと思う。
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大前提として、この「狼青年」という曲は4つの童話がモチーフになっていると仮定する。
・赤ずきん
・オオカミ少年
・三匹の子豚
・狼男
歌詞はこれ以降考察していくが、赤ずきんというお話に関しては衣装にも大きな影響を与えている。
まず赤いパーカーから連想されるのは、紛れもなく赤ずきんちゃんである。
だが、フードやマスクでわざわざ顔を隠す必要があるだろうか。
素性を隠すというHoney Beeの売り出し方、それはおばあさんに変装する狼と通じるものがあるのではないだろうかと私は睨んでいる。
さて、ここからは本題の歌詞の考察に入っていこう。
「僕と俺」とを使い分けて
心ゆくまで嘘を吐く
怖いものを知らない真実が冷たく光る
「僕」は赤ずきんでいうお花畑を教えてあげるような表向きの優しくみえて嘘を吐く狼、「俺」は赤ずきんちゃんを食べる為に画策する狼の本性。
相手は何も知らないが自分が思う存分嘘を重ねている真実だけは揺るがない、といったところだろうか。
臆病なフリしてないで
さぁ 面影重ねて迷い込んで
きみを護る狩人はとっくに美味しく、ね
相手は歌詞でいう「きみ」のことである為、今後は相手のことを「きみ」と表記する。
「きみ」が「僕」と「俺」の面影を重ねて戸惑うことが自分の思惑であることが窺える。
「きみ」を護るはずだった「狩人」はとっくに自分が美味しく頂いている(=殺した)。
ここでいう「狩人」は自分とは別人(「きみ」と元から親しい仲)なのか、はたまたそれとも自分の理性なのかは不明である。
名前なんていいから好きに呼んで忘れて
理由ばかり欲しがるアリバイを壊して
真面目なキス まるで手品のよう
暴くブラウス 床に落ちるベルト
適当な名前で呼んで、その後は忘れて。つまりは、名前を呼ぶほど親しい関係ではないのだろう。
アリバイを壊すように、「きみ」の口を塞ぐようなキスをする。
「きみ」のブラウスを暴き、自分のベルトが床に落ちる……後はお察しの通りである。
狼少年、もう一度駆け出したら帰れない
たとえ誰かの涙が胸に光っても
遮るものなど何も無い 不実な心が眠るまで
このまま彷徨い続けていく僕は、狼青年
一旦理性を失ったらもう止められない。
誰かの涙とは「きみ」の涙か、自分の涙か、それとも他に手を出している誰か(名前は覚えていない)の涙なのかは分からない。
服も理性も既にとっぱらっている。不実な心は誰にも止められない、自然に治まるまで従う他ない。
不実な心に従って彷徨う狼少年はいつしか、もう狼青年へと成長している。
嘘吐き呼ばわりする側で指から煙を奪い取って
本音を吐くきみに、僕も種明かしを
自分を嘘吐き呼ばわりし、自分が吸っていた煙草を取り上げ本音を吐く「きみ」。
そんな「きみ」に「僕」は「俺」だと種明かしをしていく。
あいつのキスそっくりでしょう?きみがいつか泣かせた
さよならは今夜 俺らは街を出るから
怒鳴り声 ドアを背に響く
許さなくていい 窓辺に映る嘘、月
ここでいうあいつとは「俺」のことで、前に「きみ」と「俺」は出会っていて泣かされた(=赤ずきんにて狼は懲らしめられている)苦い思い出があり、「僕」として「きみ」に接近したのはその復讐であると考えられる。
俺らとは勿論「俺」と「僕」、つまり自分である。
種明かしを聞いた「きみ」の怒鳴り声を背に出ていこうとする自分。
そして窓辺に映るのは、嘘と月と嘘吐き(=自分)である。
さよならは今夜と言っており出ていこうとすることと、窓辺に月が映っていることからこの時は夜であることが分かるが、夜といえば狼男が本性を現す時間帯である。僕らでなく俺らと言ったのは(また、ここから僕ではなく俺が主体的に使われている)、そういう理由であると推測する。
おとぎ話ならいつか落ちる雷
でも思い上がりかな罪も罰も白々しい
牙を出して戯れたい俺首輪なんかじゃ飼えない
煉瓦の家さえ吹き飛ばして何処へだってふらり
雷とはおとぎ話で悪役が受けるような制裁のことを暗喩している。
でも自分が制裁を受けられるほどの悪役だ思うのも自惚れなのだろうか、罪も罰も興醒めである。
本性を曝け出して「きみ」もしくは人々を弄びたい。首輪で飼える(=人々の言うことに従う)ような「俺」ではない。
三匹の子豚では煉瓦の家は吹き飛ばせなかった狼が吹き飛ばせるようになっている、ということは成長している(=童話における狼とは狼少年であり、この曲では曲名の通り狼青年へと成長している)。
狼少年、もう一度駆け出したらもう帰れない
帰らない!
誰も「俺」を止められないし、「俺」も止まる気はない。
狼少年、もう二度と駆け出したからもう帰れない
たとえ誰の涙が胸に光っても
遮るものなどなにもない 不実な心が眠るまで
このまま彷徨い続けていく
出来の悪い夢より嘘で手繰り寄せてゆく安らぎへ
ふたり番う僕ら、狼青年
二度も駆け出した(二度目は自分の意思で理性を失っている?)のだから、もう今更止まれない。
童話のような懲らしめられる過去(バッドエンド)より、嘘を重ねてハッピーエンドを自分の手で掴み取りたい。
その為に、優しく見えるようで嘘を吐く「僕」と、陥れようと画策する本性の「俺」がふたりでひとつとなっているのが自分、つまり狼青年である。
「俺と僕」との隣り合わせ
さぁ 心ゆくまで嘘を吐いて
「俺」と「僕」とが常に隣り合わせで、また嘘を重ねていく。
*
歌詞の考察、いかがだっただろうか。
特にこの童話をモチーフとした、という訳ではなく狼や嘘が共通点となる四つの童話の要素が上手く組み込まれている(オオカミ少年に関して考察で触れることはなかったが、歌詞に直接出てきている。また「きみ」に嘘吐き呼ばわりされるなど、信用を無くしている)。
考察するにあたって、童話との繋がりを見つける度に感心した。アヴちゃんのこの作詞のセンスにはつくづく脱帽である。
YouTube上に突如として現れたHoney Bee。
正体不明だが高いポテンシャルを誇る彼らの今後の動向は、一体どうなるのだろうか。