水瀬いのりLIVE TOUR 2022 glow愛知(感想)ー君と見上げた春空が、今を僕らしく生きる為の星空に繋がる。
暗転した世界に灯されたマッチのような光。
誰かの不安のように見えたそれが、音楽と共に表情を変えていく。少しずつ光を増幅させるようなインストが優しくも頼りがいのあるバンドから聞こえた。
アルバムの曲順通りに綺麗に繋がりながら“僕らだけの鼓動”が始まる。その第一声が、アーティスト水瀬いのりの新たな産声に聞こえた。
変わり続ける世界、変わり続ける自分を受け入れながら1人の人間が放つ。このステージに立つ自分を肯定するように強く響く。歌声、音楽にそれらが憑依する。
喉から無理矢理絞り出すような歌声ではなく(それが確かに大きな魅力となっていた)、伸びやかにゆるやかに流れる川のようにこの胸に注がれた。何よりもまっすくで透明である。枯渇した心に一滴の水、止めどなく流れる水瀬いのりと言う川が僕を潤す。直後、それは目から溢れ出す。彼女が抱えた闇や孤独に光が刺していくような景色が広がった。
暖まった体に“Step Up”が順応する。今この場所に生きること、文字通りのライブが始まっている。続く“Catch the Rainbow!”の歌詞が以前とは違う響きを見せる。
きっとあの頃から暗闇の中で探していたであろう歌、その理想に近づくための歩みを今日もまた進める。そんなたった一言がまたしても胸に沁みながら、全身を熱くする。
今まさにツアー千秋楽となった神戸公演が終わった所だろうか?振り返れば、水瀬いのりという1人の人間との対話を行うようなツアーだったと僕は思う。彼女自身が発する音楽が形成する人となり、姿勢…裸の水瀬いのりを僕らは目撃したのである。その鼓動に触れた時、何かが変わった。
人はいつか変わる。
いつかその時が来たら、変化を受け入れられるだろうか?「やはり違う」と思いながら離れていくかもしれない。そんな感情も押し殺して信者のように宗教を信じていく人もいるだろう。
この1年間、僕と変化し続ける水瀬いのりさんの姿勢を対峙させた時、僕は彼女をもっと理解し受け入れたいと言う思考に最終的には行き着いた。そして行き着いた先として、今日のライブがあったように思える。あの時、水瀬いのりさんを理解することを投げ出さなくてよかった。
心の底からそう思う。
上記は昨年のツアーの感想を綴った記事である。最強の水瀬いのりを証明したツアーであると同時に、彼女が地平線を超えた先を想像するのが難しい内容でもあった。何処へ向かうか?何を目指すのか?という命題が浮き彫りになった印象が強かった。
そしてもう一つ気になっていたこと、以前から彼女は自分のことを“普通の人”だと表現するシーンが何度もあったことを記憶していたが、それに反して大袈裟な見せ方をするライブスタイルを続けていることが疑問であった。それは「普通だ」と言い切る彼女のライフスタイルとはかけ離れていた。
おそらくステージに立っている時だけ全身のスイッチが切り替わるような感覚を彼女は持っていて、そんな自分もきっと好きなのだろうと僕は想像することで理解していた。声優なのだから演じるのは得意である。舞台の上で演じるのも難しいことではないはず。
glowと言うアルバムをまず最初に聴いた時、それが錯覚だったことを強く感じた。
ーもはや消えてしまいたいと思った春、innocent Flowerを聞いた時に大粒の涙を流したことを今も忘れない。僕は救われた側である。しかしその裏で1人の少女がまだ不安定ながら選んだ道、その苦労と覚悟を知る由もない。知っていたはずではある。しかし想像できなかった。音楽の力を借りた彼女は僕に強く映ったから。この人はきっと強くて負けない人なんだと思った。だけどきっと僕らと同じだったのかもしれないと気づく。
水瀬いのり。
外野からもはや見ることができないが非常に大きな存在である。ツアー初日の連番者であったアイドルオタクでも真っ先に知っていたその名前である。水樹奈々に憧れ、その道を志した少女はどんどん大きくなっていった。人気作の主演、素晴らしい脇役を数え切れないほど全うしながら歌手活動へも一切の妥協なく向き合う。現在は、横浜アリーナをたった1人で埋めることができる声優アーティストにまで成長した。そんな人気声優の日常、その内情はおよそ俺たち素人が想像できないほど過酷である。
その流れの中で1人のアーティスト、人間として何かを表現していく中でぶち当たる…避けられない「自分とは何か?」と言う問いが浮上する。
水樹奈々さんに憧れながらも「私はあんな風にはなれない。私は私なんだから」、そんな風に思う夜が何度もあったのではないだろうか。
だからこそ、自分と真摯に向き合いながら想いを言葉にしてくれたことに感謝している。以前から素直な人ではあったが、ここまで赤裸々に語る人ではなかったと思う。彼女は、あくまで1人の人間として向き合おうとする。アルバムリリース後、その思いの丈を冠番組で堂々と言葉にした彼女の声を僕は一生忘れないだろう。
見て見ぬふりをしていた。これほどまでに悩んでいるとは知らなかった。「私の好きなアーティストの歌声ではない」という部分が特に印象的だった。そんなことを自分のラジオで言う人を見た記憶がない。それも全く声を震わさずに堂々と。彼女の独白、覚悟は今回のツアー開始時にも再び繰り返された。
アイデンティティの話である。スマホを操作すればあらゆる情報や人にアクセスができ、誰もが発信者になれる現代において「私が私であること」は以前よりさらに大事なことである。僕自身も日々気にかけている事柄であるし、それを貫く人に惹かれるのも事実である。僕が僕らしくあるために何を捨てるのか、どのように生きるのか?なんとなく流されたまま生きることは出来ない。その上で選択した未来を今、彼女と僕らは生きている。
様々な思考を巡らせ走馬灯のような記憶が頭上を通過した後、景色は今、目の前で歌を歌う水瀬いのりさんに戻った。
あの頃、僕が見上げた春空と今がやっと繋がった。星空が光り輝いている。初めて水瀬いのりと言う人の声、歌声を聞いた時に惹かれた物の正体に今やっと触れられたような気がした。そして、何故彼女の音楽が強く美しいのかを理解できた。この人が発信する音楽に僕は惹かれていたのである。
ライブ内容に話を戻していく。
以降も色んな曲が続いていくが、新曲だけではなく既存曲(新しい角度からの解釈が増えた)も含めて歌い方を意図的に変えているように見えた。以前の歌い方でなければ表現できない、引っ張られてしまう場面も多々見受けられたが短期間で良くここまで修正できたなと逆に感心するばかりであった。
7曲目“We Are The Music”、アルバム内で聞いた時に最も受け入れるのに時間を要した楽曲だったが、前述の水瀬いのりさんの想いを受け止めた後では大きく印象が変わった。まさに水瀬いのり=音楽という存在、その集合体としての我々が音楽に変化しながら大宇宙を一周する様なパレードが展開されていた。地球は丸くて青かった。涙、涙、すぐに僕は泣いてしまう。
ムーディーな照明に変わった後に披露されたのは“Melty Night”。こちらも新曲であるが上品な演奏と進化した水瀬いのりさんの歌唱法が絶妙なマリアージュとして会場全体を酔わせた。ああ、この人の声はどうしてこんなにも美しいのだろうか?ため息が漏れる。
衣装替え、一番楽しみにしていた"八月のスーベニア"が始まった。炭酸がはじけ飛ぶようなイントロと向き合い、我々に背を向けた水瀬いのりさんの息継ぎが聞こえた。空気が震えていた。ライブでも初披露となるような低音ボーカルがじっくり展開されるAメロから引き込まれてしまう。擦り切れていく感情とギターが重なり合いエモーショナルな歌声が加速していく。およそ「エモい」などという言葉では済まされない。贅沢な時間が流れる。
別に過去の自分を置き去りにしたいわけではない。そのあたりは、水瀬いのりさん本人も過去を否定しないし、その時々でファンになってくれた人のことも否定はしていない。ただここからもう一度新しく歩き出すための決意表明のような一曲であったことは間違いなく、歌にもそれが今日一番色濃く表れた場面であった。極論、これ1曲を聴くためにチケットさえあれば地方に行くことができるレベルで満足してしまった。
↑これはちょっと何言ってるかわからないんですが、僕個人としてこの曲が本当に本当に好きで愛しいということです。
12曲目"HELLO HORIZON"、昨年初披露された時とは比べ物にならないほどの歌唱への落ち着きが見られた。もはや音を乗りこなしている。次曲、”Starry Wish”においても進化した歌唱法が光る。力で押し切るのではなく、今そこにある空気と滑らかに同化する歌が聞こえた。1曲1曲が終わる度、余韻が心を埋め尽くす。
14曲目"僕らは今"に切り替わる。ライブが終わりに近づいていることを実感する。現在の水瀬いのりさんのモードからして、トラエタなどがセトリから外れることは予想できたがこの曲はやはり欠かせないのであろう。若干、曲展開が大げさすぎてミスマッチを引き起こしている印象もあったが皆が一つになっていく光景は嫌いではない。そういった意味では曲のスケール感を維持しながらも派手過ぎなかったのがその後、16曲目"パレオトピア"の場面であった。転換中のインストからの雰囲気作りやトライアングル状のライト演出なども見事であった。聖母イノリと言わんばかりの衣装を身にまとった彼女が天に祈りを捧げる時、ずっと続いていた雷鳴と豪雨が止んでいくのが分かった。水瀬いのりはすべてを支配し、音をコントロールしている。今回もその印象は変わらない。これを見て「普通」だとはやはり思えない。
ラスト3曲、いづれもミディアム~スローテンポで大切に丁寧に紡いでいく歌が心の奥底に染み渡る。前後に何か大切なMCがあったような気もするが、詳細までは思い出せずとも音楽ですべて理解することができた。
繰り返しになるが、1年前に覚えた違和感のような物を新しい音楽や歌唱法、言葉を通して払拭しながら水瀬いのりさん本人が真のアイデンティティを獲得した2022年に大きな価値があると僕は思う。元来、そのような姿勢や言語化はすべて音楽で行えばいいと僕は考える側ではあるが、そうも言ってはいられない時代になってきたと自覚している。音楽が先であっても、言葉が先であっても良い。今はそう思う。
アルバムリリース後、彼女が放つ人間像をさらに好きになった。
水瀬いのりさんが水瀬いのりさんであることが好き。だからこそ彼女が歩む道をこれからも好きでいたい。そういう朝を何度でも迎えたい。
アンコール。そんな思いが奇跡的に繋がる選曲が桜の花びらのごとく舞い落ちた後、僕の目の前をピンクに染めた。
夏の星座にぶら下がって上から花火を見降ろしそうな女性が立っていた。その姿を見たとき、彼女が自分のことを「普通の人だ」と言い張るのがわかった。ジーンズがとても似合っていた。普段着のような普通の歌。いい声、いい音、いい箱、いい客が今この場所に共存している。この上ない幸せが街に満ちていく。
続いて披露されたのは1st Live以来となる"涙のあとは"、久々のイントロにどよめくような会場であったが声はちゃんと押し殺していく。
メッセージ性がglowと似ていることから選曲したという話を歌唱後に本人もしてくれたが、本当にその通りで絶妙な選曲だったと思う。この世界に流れるささやかな幸せ、今日もまた水瀬いのりさんに会えたという幸せを抱きしめていく。
正真正銘のラスト、最高のミュージカルに幕を下ろす大名曲に辿り着く。
昨年のツアーの時と同じ、しかし少し歌唱法を変えても伝説の高音が未だ健在であった事実が嬉しい。
すべての物語が星空に繋がり、明日また太陽が昇って歩き出す。目覚めた時、世界に向けて「僕だよ。」とあいさつをしよう。その時、僕らは音楽になる。君と共に、音楽と共に世界は回りだす。
ダブルアンコールなんて望むような余裕もない。水瀬いのりという情報以外は何も頭に入らないほど満たされた。最高、最高だった。最高のフルコースを堪能した。この味をまた食べに行きたい。この音楽を。
ご馳走様でした。
余談だが今回は新しい出会いもあり、非常に充実した日になった。今後も自分が楽しければ良いという気持ちで終わらずに、どんどん水瀬いのりさんが好きな人を増やしたいと思うし今回「なんか違うな」と思った方々も全然未来で戻ってきてもいいと思う。なんか少しでも気が向いたら、水瀬いのりさんのライブ見に来てください。水瀬いのりはすごいし、きっとこれからもすごいので。
最強の普通、水瀬いのりはまだ始まったばかりである。
↑余談2、いやマジで今回もこれだったから辛すぎて泣いた。えっちだけど、ちゃんと歌ってほしいんですよ。シュビドゥワワップさせてください来年こそ…