Mr.Children/miss youー終わりの先に待っていた孤独と音楽の行き先について
僕は一体何度Mr.Childrenに振り回され、狂気の笑みと涙を浮かべながらこのバンドを愛していくのだろうか?20年以上聴いているのに飽きが訪れることはない。
そして今、きっと1番面白い時期に彼らは突入した。終わりなき旅の先、2023年と言う時代に彼らが辿り着いた場所とは何処だったのだろうか?
アートワークに1人だけ立ち尽くす桜井和寿、そしてアルバムを包むビニールを破いた時に現れたのは樹海のようなイメージ…ただ事ではない不穏を放っている。果たしてそこにはどんな世界が広がっているのだろうか?
全曲解説
独りきりの夜、独りきりの部屋にアコースティックギターのイントロが寂しげに響く。
1曲目“I miss you”からとても悲しくて、そして美しい音楽が僕を出迎えてくれた。およそロマンチックな曲調でも歌詞内容でもない。少しずつバンドが入ってくる。田原のギター、まだこちらの追いつかない気持ちに寄り添うような響きが安心感を添える。
3年前にリリースされた前作『SOUNDTRACKS』では、桜井和寿とMr.Childrenが受け入れた“老い”という事実+小林武史から完全に脱却した美しくも強いサウンドが丁寧に描写されていた。バンドとしての終活も含んだその内容は、聞き応えも充分過ぎるものであった。
旅は続き、Mr.Childrenは新たな境地に足を運ぶ。じっくりと観察していく。
まずは音全体について。
アコースティック由来なサウンドメイクをベースにはしているが、バンドメンバーの音が一切入っていない曲も多くキャッチーさにも欠ける。桜井和寿ソロ的な作りが非常に強い。そしてMr.Childrenだけを聞いていれば生きていられる…と言う人間には決して向けられておらず、本当にこのアルバムを必要としてるもっと外に響く可能性を持った音が並ぶ。
しかし歌詞カードに羅列された言葉に目を向ければ、外向きとは言い難い。どこまでもネガティヴで鬱々としている。例えば深海のような、前述したような樹海に向かう恐ろしさや覚悟…人間が絶対に避けては通れない“孤独”、あるいは“音楽の行き先”に50代のバンドが真正面から向き合った作品だと言えるだろう。
あの日、「ロードアイミスユー」という常套句を繰り返した青年はそれを全く違う響きで歌にする。こんな歌を30年以上も歌ってることが悲しくて、そんなことを繰り返してる自分自身が殺したいくらい嫌い…と歌う男のシルエットが月夜に浮かび上がっていく。
変わり続ける時代や人…果たしてこれまで自分が歌ってきたことや成し遂げてきたことに意味はあるのだろうか?誰が本当にちゃんと自分の音楽や声を聞いてくれるのだろうか?…そんな不安を吐露する桜井の背中は極めて寂しい。
そして暴かれた正体、このドス黒くて鬱々とした人間の闇こそが、桜井和寿自身の胸にいつの日も流れている核である。久々に彼の胸から聞き出せたような気がするのが嬉しい。
誰に読んで欲しいかわからないブログ、ツイートを書いては「いいね」に一喜一憂する日々。もはやそんな自分が1番嫌だからわかってしまう。桜井和寿という人間と作家性を刻みつけたその歌は、以降のアルバム内容を想像させながら全曲52分への扉をゆっくり開けていく。
アルバム中1番キャッチなーメロディから2曲目“Fifty's map ~おとなの地図”が幕を開けた。冬のある日、どこまでも続く国道をゆっくりと駆け抜けるようなサビが気持ちいい。控えめだが堅実なバンドサウンドにストリングス、鉄琴?などが絡み合いポップな仕上がりになっている。
若い時なら衝動的な行動、ルールへの反逆に魅力を感じられた。昔は激しいロックだって好きだった。だけど最近はテンポが早くてうるさい曲を聴いても心が追いつかない。生きれば生きるほど老いから逃げられず、呼吸するだけで精一杯。いつも何処か気に入らない今に向き合うことを強いられる。
涙で歌詞カードを濡らさないように気をつける作業が始まった。皆同じ世界を彷徨ってる独りなんだなって当たり前を、孤独を、彼らは歌にしてリスナー=仲間に伝える。僕が感じていた生きづらさ、誰と話しても過ごしても募る寂しさと部屋の中に流れる孤独に行き先はない。過去にも未来にもない。ここにあるのは今だけである。
這いずり回ってでも、窓から不様なツラを出してでも空気を吸って今日も生きる。悲しくてもつらくても逃げられない。皆、誰と過ごしても独りであり仲間である。
MVでは往年の名曲である“くるみ”をオマージュしたことが話題になっているが、この曲の主題はもっと別にあるような気がする。今を生きる全ての人へ贈られた応援歌のように響き、静かに胸を打つ。
上向きになった気持ちを3曲目“青いリンゴ”がさらに上空に運ぶ。秋らしい風が吹き抜けた。アコギを主体にして肩の力が抜けたようなバンドサウンドが目の前にゆっくり広がる。いくつも装飾するのではなく、引き算的な美学が光るのも本作の特徴である。
作品全体としては暗いが、ここではポジティブなメッセージが目立つ。人間は陽と陰で二分することはできず表裏一体であること、これはMr.Childrenがずっと放っているメッセージのひとつである。
全部諦めてしまうような日々が続くこともあるけど、必ず季節は巡る。その時に少しだけ手を伸ばせば、果実は青くても始められることはまだ僕らに残されてる。きっと背伸びしないと応えられない場面もあるけど、その分可能性もある。こう言う歌を背負いすぎずに軽やかに歌う今の彼らが僕は大好きだ。
少しだけ顔を覗かせたポジティブは簡単にコーヒーカップから零れ落ちる。もの静かなドラムとサイモンホールのピアノが、途切れながら続く生活を描く4曲目“Are you sleeping well without me?”が始まった。ベースとギターは入っていない。まあこの程度は昔のミスチルから良くあるので驚きはしないが、異様に音の響きも桜井の歌唱も悲しい。
新しい季節を迎えても過去を引きずったままの主人公は「よく眠れてる?」と何度も君に問いかけるが、本当に眠れていないのはきっと彼自身だろう。作中何度も現れる桜井和寿のダメ男ぶりにニヤニヤしながら(最近だとREFLECTIONのI can make itだったけど本作は登場回数が多すぎる)この先の展開が不安、彼の私生活を少し心配してしまう。
悲しみを抱えながら5曲目“LOST”へ。シンセのデジタルな響きとアコギが重なるイントロが素敵だが、バンドメンバーの音は一切入っていない。この辺りからバンドの型に固執せずに作られたアルバムであることがわかってきた。ピアノ、コーラスとクラップが入っていて後コンガ、カホン、ジャンベなどの民族楽器で味付けをしている。どこか深い森や神秘的な居場所を想起させる音が混ざっていて、どの過去を辿ってもこんなMr.Childrenは見たことがない。
いや、マジで桜井和寿何があったの??わかりすぎて泣いちゃうからやめてくれ。確かに俺は暗くて救いようのないミスチルは大好物なんだけど、今回ちょっと異常な曲が並びすぎている。
タガタメやHERO、それ以外でも散々未来のこと歌ってきたから大丈夫だよ桜井…自信持って…
わかる。ちょっと頑張ったら空回りして自分に返ってくるから毎日嫌になる。
何も救いなくて泣いちゃった。真っ直ぐな想いがいつも捻じ曲がって伝わること、1番悲しい。桜井和寿も歌の中で同じことを感じている。しかも数曲前で「どこにも逃げれない」と歌ってた人の言葉だから重い。
なぜ桜井はこれほどまでに救いがなくて悲しい曲を今生み出したのだろうか?一体誰に聴いて欲しくてこんな歌を歌ってるのだろうか?そんなことを繰り返してる自分すら殺したいくらい本当に嫌いなのだろうか?
少なくとも、今こんな歌を聴きたかったと心の底から思っていた僕の心は大きく揺れ動いた。あの頃よりもっと、大衆に歌うのではなく一人一人に刺さるように歌う彼の声と音が、僕だけの耳を支配していく。
続いて歌詞カードをめくると、血のような赤い背景に2ページびっしりのテキストが目に入ってきた。もう何が出てきても驚かないと心に決めた数秒後の出来事である。
ラップだ、これ多分ラップ…じゃないと4分弱しかない尺に収まらないってすぐわかった。すると音数の少ないヒップホップ特有のトラックが流れ出した。6曲目“アート=神の見えざる手”、語りのようなフローから始まった。何事??
放たれる言葉はどれも攻撃的であるが、特に何かを伝えたいと言う訳でもなくステージでグロテクスとバイオレンスを演じて楽しんでるようにも見える。他国や自国へのディスも見受けられる。深海の時ですらこんな尖り方してない。
もうめちゃくちゃに笑顔で歪んでます、はい…桜井さんもこう言う曲実は大好きですよね?それで嬉しくて顔歪むんですよね?
最低だよ。なんだよこの最低な人間性の桜井和寿は?それが僕は最高に好きなんだよな。しかも「お前らがもっと過激な曲聞きたいって言ってたから作ったが?」という態度もたまらない。やられたわ。
もう全部は言いたくないけど、これまさにMr.Childrenだよなって納得できるサビで素晴らしい。聖人君子みたいなポップスとか、自分で自分の事陰キャだとか言ってる奴用の曲ばかりでは生きていけない。この良さがわかるなら一生半端者でいいわ俺…
再び歌詞カードをめくると、AORミディアムバラードみたいなイントロが聞こえてきた。ミスチルにあるまじきオシャレさである。
7曲目“雨の日のパレード”が心を浄化していく。また過去にないタイプの音色、しかもそれが雨の情景を完璧に描写できているから驚きを隠せない。
歌詞は比較的明るいが、相変わらず生バンドの音は桜井のアコギ以外何も入っていない?しかし打ち込みのタイミングや味付けが絶妙で美しいし、終盤に入ってくるウィンドチャイム(?)なども素晴らしいのであまりバンドサウンド云々は気にならない。
誤解なく言えば最近自分が聞いてる標準的なポップスとなんら遜色ない。正直に言えばミスチルのここ数年の音作りはトレンドとほぼ無縁の所にいたが、本作はかなり接近している曲も多い。
雨上がりのような気持ち、葉に残った雨粒のひとつから溢れ出す悲しみを見逃さない桜井和寿が爪弾くアコギから始まったのは8曲目“Party is over”である。2番からギターがもう1本入るが相変わらずドラムもベースも聞こえない。
再び顔を覗かせたダメ男の姿にニヤニヤしつつ、いつだって桜井和寿は俺の気持ちをお見通しで困るなあと思った。俺もいつまでも引きずってどこに向かえばいいかわからないよ。いつもでも燻ってんだよ。秋の風と冷たさが独身の身に染みながら色々思い出してしまった。昔で言うとsurrenderみたいな?こう言う曲もミスチルでは久々で少し懐かしい。
やはり今回はアコギが軸なんだろなあと思いながら9曲目“We have no time”へ。ジャカジャカかき鳴らしてる…ブルースぽい。サックスが2本も絡むんだけどあくまでリズム隊は打ち込みと言う奇抜なスタイルで攻めてくる。天頂バスから装飾と肉を削ぎ落としたようなイメージ、聞き慣れるとすごく踊れる曲調に変わる。
さらに特筆すべきはハスキーボイス的な桜井和寿の復活である。古くはロック的、あるいはブルース的な楽曲で聴くことができたが長い間封印されてきた印象である。この掠れ方、がなり方…ずっと待っていたファンも多いのではないだろうか。
歌詞内容は“青いリンゴ”と少し似ているが、結局つべこべ言いながら「本気出したら俺はやれるんだけど時間ないから仕方ないな」と歌ってるだけのダメ男にまた惹かれてしまう。
10曲目“ケモノミチ”、前作でサイモンホールと共に獲得した透き通ったヴォイオリンとアコギが桜井和寿の心を暴いていくリードトラックである。曲が進むにつれて、桜井が森の奥へ消えていくのがわかる。樹海の中、孤独と夜が濃くなるにつれて大きくなる彼の悲鳴、そして美しい音楽だけが耳を捉えていく。心がいっぱいになる。
真っ直ぐな思いも捻じ曲がって伝わるが、それでも音楽はやめられない。こんな歌を本当に必要としている君にめがけて爪弾いた孤独のメロディは、もはや寂しさを含んでいない。
再び言葉を追う。
SNS社会と現実を写し鏡のように描いた歌詞におそらく共感を覚えない人はいないだろう。どんどん世の中がおかしくなって、正しいことしか許されなくて弱者に厳しい社会に変わりつつある。歌は、音楽は一体誰に本当に必要とされるのか?
だからこそ、効率的で正しいことだけを並べてAIのように構築されたアートばかりでは退屈である。寂しくて歪で孤独、儚くて卑怯で下品だとしても美しいMr.Childrenの歌が僕には必要なのである。
仕返し?誰に?自分に?…わからない。桜井自身もわからないのかもしれない。ただ何かに一矢報いたいと言うか、仕返したい気持ちは僕だって生活の中に溢れてる。僕らは、その正体をずっと探す孤独な旅を続けていくのかもしれない。
あるいは…時代とか環境を超えた場所で誰に聴いて欲しいかわならない救いなき歌を、必要としてるリスナーにダイレクトに届けること…それがこの世界への仕返しなのだろうか?だとしたら本作でしっかり果たされている。涙がこの頬を伝い、束の間潤う。その声が枯れても繰り返し彼は叫ぶだろう。それがMr.Childrenという生き物である。
場面は一変し、ラスト3曲は従来のミスチルに近くて穏やかなバンドサウンドやHOME期に見られた日常的な幸せなどが奏でられている。
柔らかな音色と共に欲張らず地道に生活を積み上げていくことの大切さを歌う“黄昏と積み木”、曲自体にも派手な展開はないが非常に落ち着く。
REFLECTION期の収穫を持ち帰ったようなトランペットから緩やかにカーブを下るメロディが憎い“deja-vu”には自然と胸がときめく。Bメロ的な盛り上がりをサビとして機能させながら3分弱に収めることで、ラストに向けて少しだけ加速する。
ここの歌詞めちゃくちゃ好き。誰と向き合う時も、自分の一面みたいなものが相手に存在してるかもしれないって未だに思うから。そう考えると少しだけ楽に話せるきっと。
胸いっぱいの孤独と幸せを抱えながら、寝苦しい夜に寂しさを歌っていた主人公は最終曲“おはよう”で君がいる生活に辿り着く。
ゴミ箱の中に見つけたレシートにさえ、生活の重なりを感じられる桜井和寿の感性が素晴らしい。過去曲で言えば“あんまり覚えてないや”、“安らげる場所”のような印象、ある種の日常の到達点のような歌に聞こえる。
ラスト3曲の流れは、孤独や寂しさと相反するような繋がりと幸せを描いているように見えるからリスナーによっては共感しにくいかもしれない。だけど、これは誰にでもある可能性の話だと思う。アルバムを通して聞くとわかるし僕らは結局独りらしい。孤独に怯える必要はない。
口笛を吹いて続く物語の中で、主人公は君とずっと暮らしていくかもしれない。あるいは再び眠れない夜に辿り着くかもしれない。もしかして“ケモノミチ”でこの作品は終わっていて、ラスト3曲は全部妄想か夢かもしれない…と過去と未来と交信する男は考える。
何はともあれー孤独とどうやって付き合っていくか?という全ての人に掲げられた命題に対してMr.Childrenはたくさんのヒントを与える名作を生み出したと言えるだろう。
そして音楽や歌の現代的な在り方、届き方に未だ悩み苦しんでしまう桜井和寿のパーソナルでピュアな気持ちが刻まれている。それが、かつてないほどに心を掴んでくる。
誰とも会えないし飲食店もイベントも自粛していた時代は終わり、僕らは自由を手にした。そのつもりだったのだが生活は簡単ではない。
1人の時間を過ごすことにも慣れたはずが勘違いで、誰かと過ごしている時も孤独は存在する。今日もまたドラッグみたいに音楽に手を伸ばす。きっとこの先何度もこのアルバムのお世話になる。
Mr.Childrenはいつもこの時代を生き抜くメロディを教えてくれる存在、今日もこの耳に孤独と音楽をぶっ刺しながら僕らは生きていくのである。
勿体無いなと思った点
傑作すぎて大絶賛したので総括に入る前に気になった点をいくつか挙げる。
まずメディア出演が一切なかったことは誠に残念である。テレビはおろか雑誌、ラジオ、WEBも何もなかった。限定的な情報から作品を紐解くのも楽しいのだが誤解は必ず生まれてしまう。現時点で桜井和寿やメンバー達が何を考えているか?最近どんな曲聴いてる?とか知りたいことが山ほどある。時間が経ってからでも良いのでしっかりとしたインタビューをお願いしたい。
サブスク解禁(アルバム全体)が1ヶ月遅れたことも完全に悪手だと思う。
移り変わりの早い音楽シーンの中で各都市にデカい広告を打ちケモノミチを先行配信しておきながら、そりゃねえだろとビックリした。正直全然売り方上手くないなと感じた。
特に今回は音楽聴きまくってる系のリスナーに従来的なMr.Childrenのイメージを覆させるチャンスだったし、“アート=神の見えざる手”を利用してエグいMVでも作れば若年層に訴えかけられる可能性もあった(さすがにやりすぎか)。あるいは“青いリンゴ”、“雨の日のパレード”で無難なタイアップを取ることも可能のはず。
そう言った広がりや宣伝を全部NOだと考えているのだろうか?不特定多数に捻じ曲がって届くことを恐れてしまう気持ちも理解できるが、やはり納得いかない。ちゃんと聞いてもらえる機会を自ら逃しながら「誰に聞いて欲しくてこんなの歌ってる?」と桜井和寿が歌うことに矛盾が発生してしまう。
だから今回すごくモヤモヤする。1日も早くファン以外に聞いてもらう必要があった。「ファンにだけ買ってもらえばいい…って考えてるバンドなんだな」と思われた時点で現代は少し厳しい。
てな感じでメチャクチャ良い作品なのに不満が出てしまうくらいにはこの2点は悔しい。次回から改善を願いたい。
総括
さて、久々の問題作の総括に入る。おそらく多くの人が引っかかる問題は下記2点だと思う。
①桜井和寿ソロ的な作り、バンドレスなサウンドが強すぎる。暗い
②メロディライン、音選びがこれまでのミスチルと違いすぎる。暗い
これらの問題について、僕なりの解釈を述べる。
ここ数年間、Mr.Childrenは何処へ向かうのか?…という想像を巡らせている間に頭から離れなかった曲がひとつある。
前作の最終曲“memories”である。バンドの音は一切聞こえず、オーケストラと桜井和寿が混ざり合うだけの楽曲である。アルバムの最後にモノローグ的な装置として機能していること、当時の彼らが目指したバントサウンドが他9曲で十分展開されていた事実から特にバンドサウンド云々と言う疑問すら覚えなかった。
その時、脳裏に浮かんだのはMr.Childrenの最後の姿であった。きっとこれは、いつかバンドも終わり、ひとりきりになってしまった時の景色かもしれない。だから桜井和寿ひとりが、僕の前に立っている。夜空には、様々な人たちと過ごした思い出が煌めく。そのひとつひとつが大切で、その全てが満点の星空を作り出す。
これらを踏まえて最新作を噛み砕いた時に思ったこと…Mr.Childrenは、もはや「4人で音を出して作り出す物である」と言う前提を必要としない存在に変化したのではないか?と言うこと。ここを受け入れられるか否か、作品を理解する大きなポイントになってくる。
4人でやってるからミスチル、だからバンドの音楽である…と言う決まりすら完全に消えた。
小林武史にコントロールされていた時代、バンドレスな歌は幾らでもあったが今は違う。しかも桜井和寿が自分勝手に選んだのではなく、メンバー達の意思もそこには存在する。こんなことは他のバンドではあまり見られないが、間違いなく彼ら全員が選んでこの音を作り出している。
いつだって桜井和寿に寄り添える音を選択し続けてきたのがMr.Childrenであり、それが桜井和寿、田原健一、中川敬輔、JENなのである。
それぞれのプレイヤーが必要以上に前に出ることはなく、かと言って後ろに下がるわけでもない。いつも彼の歌が真っ直ぐに届くことだけをファーストに考えてきたバンドであること、それは20年以上その動向を追ってきた僕が1番わかる。だからこそ、「ロックバンドとは何か?」と言う論争が起こった時に発生するような後ろめたさは消え去る。
Mr.Childrenと言う概念だけが残り、それが核である桜井和寿に憑依したことでソロ的な作りを選んだ…ただそれだけの作品だと解釈できる。作品全体に流れる暗さも桜井和寿個人が抱えてきたものであるし、久々に彼の中で覚醒した本性である。この覚醒こそが本作1番の収穫だと僕は考える。
逃れようのない老いを受け入れながら、ひとつの到達点を迎えた彼らが選んだ孤独に一切の嘘はない。そう考えた時に、僕はアルバムを初めて聴いた時からすんなり受け入れることができた。それと同時に、従来のMr.Children的なダイナミズムを用いたポップスから離れた音も簡単に歓迎することができた。本作で聞こえる音は、彼らがこれまでの作品で開け放った沢山の音楽の扉と繋がっているからである。本当に感謝しかない。
10代の頃から、Mr.Childrenは僕の音楽の先生であった。彼らから教わったことは数知れない。だから何を聴いても「あのバンドのアレっぽいな」とか「今売れてる曲のアレの雰囲気あるな」とかすぐにわかる。全ての音楽がいつもMr.Childrenに繋がるのである。いつもそれを理解できるか?の勝負を最新作に彼らは仕掛けてくる。楽しくて仕方ない。
と言うわけで、以上が最新作についての感想である。問題点は解決しただろうか?
簡単に言うと久々にめちゃくちゃ自分好みの暗くて孤独な作品が出てきて正直ニヤニヤしてるし、歌詞暗くてエグくてたまらんし音も最近自分が聞いてるものと近くて最高に好きです…あと
この辺りの雰囲気が全体に流れてて、どちらの作品も好きだから心地良かったですね。これくらい派手にやってくれても良かったのに!と少し思うくらい。
話は変わるけど、最近色んな才能ある方々が次々とこの世から姿を消している。自分の好きな人、好きな事がもういつまで生きてるか続けてくれるのかもわからない。ひとつひとつの作品を今まで以上にしっかり受け止めていく必要性を感じている。
いつか来る終わりが最近はすごく怖いけど考えても仕方ないから酒でも飲んで寝ます。
ではまた👋
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