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楽し過ぎて忙しい!
誰かに「最近どう?」と聞くと、「忙しくってさ〜」みたいな返事が返ってくることがありますが、そんな時の「忙しい」という言葉は、ほとんど挨拶代わりになっているような気がします。
「忙しい」と言うと「することがたくさんある人=有能な人=責任感のある人」というイメージ?
逆に、時間に余裕があると「よほど暇なのね」とか「いいご身分ね」なんて思われてしまう?
もしそうなら、
「忙しい=充実している=正解」で、
「忙しくない=怠けている=不正解」?
でも、本当にそうなんでしょうか?
自己責任
忙しいということは、言い換えると特定の時間枠内にある「すること」の密度が濃いことだと思います。
「1日は24時間」という事実は変えようがないです。(当たり前ですが)
そうすると、自分が「持っている時間」の中で「何」をするかで忙しさが決まってきますが、ただ闇雲に時間を「to do」で埋めて、それを追いかけ回しながら「忙しい!」と言ってるだけでは、ストレスが溜まって疲れてしまいます。
物事に優先順位を付けて順番にこなしていく、という方法もありますし、そういうことが上手にできると「自己管理能力が高い」という評価にもつながって、仕事の場ではそれも必要なことだろうし、有効だろうと思います。
でも、人生全体の中で見た場合、物事はそう簡単に順番付けできるものでもないと思うんです。
ただ私が思うのは、忙しいのは、結局のところ「自分の選択」だということです。
それが必然だったり、義務だったりしたとしても、「する」という決意をしたのは「自分」なんですよね。
「放棄するなんて無責任なことはできない」とか「やらなかったら大変なことになる」と思うかもしれませんが、よく考えてみると”無責任な人間”に「なりたくない」のは自分だし、”大変なことになる”と(勝手に)「思う」のも「自分」なんです。
自分の時間を大切に
ある仕事をしていた時、そこでは月毎にシフトのような形で各自の入る時間を決めていました。
特にそのための場は決まってはいませんでしたが、ミーティングの際に「そろそろ来月の・・・」という感じで、皆で一緒に話し合っていたのですが、そんな時私は、自分がそこでは最年少(で、経験も一番浅い)だったこともあり、「皆さんのご予定に合わせます」と言って、自分の都合は(あっても)いつも後回しにしていました。
結果的に、忙しい時間帯や週末の担当をすることが多かったです。
あるときオフィスに行ったら、中央の大きなデスクの上に置かれたカレンダーには、他の人はもう来月分の希望日程を入れ終わっていて、余白部分が自動(強制)的に私の担当ということになっていました。
そして、そこで最もキャリアの長い先輩から
「みんなもう予定入れたから。あなた、どうせ時間あるんでしょ」
と、言われたんです。
その場では「大丈夫です」と言いましたが、さすがにこれはショックでした。
他にも、早朝に「○○さんが体調崩して入れないから、あなた代わりに来てくれない?」と電話がくることも度々ありました。
そういう時も、『困ったな』とは思うのですが、他の人が代わりを引き受けられるかわからないし、そうなったらみんな困るだろうと思って、自分の予定を諦めて「わかりました。今すぐそちらに向かいます」と答えてしまうのでした。
あと、打ち合わせを先方からお願いされて、内心は「他の日がいいな」とか「この段階ならまだメールでのやり取りでも十分じゃない?」と思うような場合でも「お願いされてるのだから」と、結局は相手の希望日時・場所でお会いしたり、というのもよくありました。
そうやって、それなりに忙しくしていましたが、ふと気がつけば、私のスケジュールは「他の人の予定」で埋まっていたんです。
自分のことはいつも後回し。
「自分の時間」が犠牲になっていました。
結局、私はそこを退職しました。(円満退職です)
私がいなくなっても、そこでの仕事はちゃんと回ります。
でも、私の時間は私だけのもの。
それを他人の都合で左右され、他人の予定で埋められて「忙しい」毎日を送るのはもう十分だったんです。
自分のことにしてしまう
仕事でもプライベートでも、やらされ感があるうちは、自分は山のような「to do」の下敷きになっている犠牲者です。
楽しくないし、モチベーションもあがりません。
「どうして私がこれをするの?」
「なんでいつも私ばかりなの?」
そんな不満も湧いてきます。
だから私は、例えば「この仕事やらないと」ではなくて「私が、この仕事をやる」、「この会議に参加しないと」ではなくて「私は、この会議に参加する」というように、主語を「私」に置き換えて「やる」と宣言してしまうようにしたんです。言ってみれば、自分を騙しているようなものです。
現実では大人の事情で「しなければならない」こともあります。
でも、できるだけ「私が、やるんだ」と自分の意思決定を(心の中で)叫んしまうと、それは「やらされているもの」ではなくて、自分がコントロールしている気持ちになれます。
そうやって、自分中心の意識にシフトして、自分を主語にすると、その結果に対する責任感や、終わった後の達成感も違ってきます。
楽しくなきゃ!
私が目指したのは「受け身の忙しさからの脱出」です。
単に「忙しいから楽をしたい」というわけではないんです。
するにしろ、しないにしろ、自分で決めて、自分で責任を持ちたい。
「ほんとうは別のことがしたかったのに」と思いたくない。
「私ばっかり損してる」と思いたくない。
他人の予定で自分の予定を潰されたくない。
そんな風にいつも思っていたんです。
だって、自分の時間に心を配るということは、自分自身を大切にすることだ、と思うから。
「忙しい」も「忙しくない」も捉え方だと思います。
すごく忙しくしている人でも、それが「自分の時間」で忙しくしているのであれば「忙しいけど楽しいよ」みたいな返事をしてくると思います。
「うん、すごく充実してる」と言うかもしれません。
好きなことで時間を過ごしているなら、そこで「忙しい」とさえ思わなくなる気がします。だって、楽しいんですから!
私の理想は「忙しい=正解」じゃなくて、
「やってることが楽しくて時間を忘れる=正解」なんです。
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