見出し画像

「サイゼで良い」はドレスコード違反


僕は、サイゼ"が"良い。

基本的に外食する時はどこ行っても毎回同じものを狂気的に頼むのだが、サイゼリヤの場合は、

「若鶏のグリル ディアボラ風」
「ラージライス」
「ほうれん草のソテー」
「ムール貝のガーリック焼き」

15年間このセットリストである。ここまで来るともう変えられないというか、無駄な強迫観念のような、そんな感じだ。

そんな偏ったサイゼリヤ好きの僕だが、昨今の「サイゼは妥協」みたいな風潮は少し頂けない。

サイゼは、ご褒美である。


いや、ネタ抜きで本当に美味しいと思っている。

昔、ホテルで働いていたことがあるので、ある程度のフレンチとイタリアンの経験はあるが、食べてる最中に「サイゼの若鶏のディアボラ風が食べたいなぁ」とか、「ムール貝のガーリック焼きの方が美味くね?」とかよぎってしまう罪な男なのだ。

その話を当時の誰かにしたところ、
「それは精神的なドレスコードに違反してる」
と言われた。まあ確かにそうかもしれない。

であるなるば、妥協の産物のような態度でサイゼに行くのも僕からすると、それこそ精神的なドレスコード違反だ。


とは言ったものの、だ。

例えば、意中の異性に対して、
「夜、サイゼ行かない?」とはなぜか言いづらい。

何でだろう?わからない。僕がサイゼを卑下するはずがない。もしかして、深層心理的にサイゼを卑下しているのか...?

いや違う。「デートでサイゼは妥協」というSNS時代でどこから生まれたかもよくわからない、共通見解みたいな顔をした、「ノイジーマイノリティの意思」に錯覚させられてしまっているからなのかもしれない。

だから、男性側は言いづらいので女性側が「サイゼ行こ!」とか言ってもらえると、強烈なインパクトを覚えてウキウキでサイゼに足を運べるのだ。

そして、15年間同じメニューを頼んでいる話をして、ムール貝のガーリック焼きはフォークを身の下に刺してテコの要領で取った時の貝柱が可愛いんだよなぁと、岡田斗司夫みたいなテンションで話して引かれるのである。

よく女性は男性に対して「察して」と言うが、
僕がサイゼ行きたい気持ちも「察して」欲しい。

なのでこれからも「サイゼ行かない?」とは言えないままなのだろう。言えるような相手が理想だ。


そういえば、サイゼは学生時代を彷彿とさせるとして、「サイゼはエモい勢」が稀にいるが、僕は割とコンスタントにサイゼに行って楽しんでいるので、別に大してエモれないのだが、「確かに(笑)」とか言ってごまかしてる。


何はともあれ、「サイゼって、美味くね?」というジャブを僕は割と色んな場面で出す。女性が他人にMBTIをやたら聞くように、僕は「サイゼって、美味くね?」としれっとさらっと聞くのだ。

そこで、「わかる」「サイゼはご褒美」と
共通理解を持てると、異様な絆を感じて嬉しい。

MBTI診断も「えっE〜?!」「Tなの〜!」みたいなもはや暗号化されたような会話を繰り広げて、色々と盛り上がっている姿はよく見る。

心理テストって、その結果を基にした共通理解というか、ある種の絆みたいな、わかり合える部分とか、相性とかそういうものを感じていそうだし、僕もMBTIやった時は人の結果を聞いて盛り上がったり、相性とか調べたような記憶がある。

なので、僕は「サイゼ好きかどうか診断」をこれから積極的に取り入れて、共通理解とか、ある種の絆とか、相性とかそういう目に見えないシンパシーを感じてニヤニヤしようと思う。


(あとがき)
そういえば、学生時代にサイゼの事を「サイゼリ」って略していた同級生がいた。今ふと思い出して語呂が気持ち悪すぎて笑えた。ありがとう。


以上、福島太郎さんの #サイゼ文学賞 の企画に参加させて頂きました。


いいなと思ったら応援しよう!