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結局、大人は汚いのか?
世の中には「大人は汚い」という言葉がある。
昨日は成人の日だったようで、新成人の皆皆様方におかれましては、そろそろ汚い大人の仲間入りかもという事で非常にめでたい気持ちであります。
でも「汚い」と言われるのは誰しも良い気はしないだろうし、語呂的にもなんか嫌なので、純粋な正義感に燃えている子どもの敵である汚い大人にならないために、社会倫理で紐解いてみよう。
そもそも、「汚い大人」を定義しなければならないのだが、いかんせん抽象的すぎて長くなるので、ここは皆々様が想定するいわゆる人を騙したり、責任逃れをしたり、人の気持ちなんて考えずに利益を優先したりだとか、そういう事で進めよう。
汚い大人の最終形態では、政治家の汚職や会社の不正等があるが、これらは汚いを通り越した、ただの犯罪者なので、この記事では社会倫理の範囲内で話をしたいので、大人しく司法に委ねるとしよう。
では、例えばこんな感じだろうか?
自己都合優先
「みんなのため」と言いつつ、実際には自分や特定の評価や利益を優先する。
曖昧な約束
明確な答えを避けて、後で都合よく解釈できるように曖昧な返事をする。
責任逃れ
問題が起きたとき、自分の責任を回避しようとする態度を取る。
変わり身の速さ
自分が不利になると、すぐに態度を変えて他人にすり寄る。
うーん、汚い!!マコモ湯くらい汚い!!
でもなんだか違和感を感じる。汚いけど、社会でよく見る大人っぽいし、こんなのもはや普通じゃない?とも感じる。
前提として、僕たち大人は資本主義の中に生きていて、その中に功利主義という概念がある。
資本主義は、みんなが自分の利益を求めて動くことで、結果的に社会全体に良いものが増えるという前提で動いている。
功利主義は、倫理の一種で、全員を100%満足させるのは難しいから、「できるだけ多くの人を幸せにする」という視点で物事を判断することだ。
もっというと、「誰かが多少我慢しても、全体の利益が大きければ良しとする」理論だ。
どちらも「全体を良くするために個人が動く」という点で繋がっている。
もちろん子どもは資本主義や功利主義といった社会の仕組みを理解していないから、大人の利益ファーストの行動が「汚い」、「不公平」に見える。
背景に何かしらの理由があるのかもしれないなんて考えられるわけもなく、めでたく僕たちは「汚い大人」となるといった具合だろうか。
大人の「汚さ」とは、実際には複雑な現実社会を生き抜くための選択にすぎない場合が多い。
そう考えると、「大人は汚い」の一言で片付けるのは、あまりにも短絡的なのかもしれない。
むしろ、大人はその複雑な世界で、少しでも多くの人を幸せにするための「不完全な努力」を続けているとも捉えられる。
だから、こう結論付けたい。「大人は汚いのか?」という問いに対して、答えはこうだ。
「汚いわけじゃない。ただ、世界の複雑さを受け入れる術を身につけた結果、そのように見えるだけだ」
と。