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「ポジティブ足引っ張り」に注意
足を引っ張って来る人にも種類がある。
さて、他人の足を引っ張るとはどういうことか。
わかりやすいのは何かに挑戦しようとしている人を妨害するような言動がある。
「夢見すぎでしょ」
「そんなことして意味ある?」
「成功するなんて一握りの人間」
「どうせ無理だよ」
わかりやすい。大体はこの辺の五段活用のような派生になる。ただしこれは、負の方向を向いた「ネガティブ足引っ張り」である。
1番ポピュラーでわかりやすく、いわば足引っ張り防衛術の入門編だ。「ああ、またか」とでも思ってスルーしておけば良い。
とは言ったものの、挑戦を馬鹿にしたり、自分は何も価値を生まないのに人の事を笑う、いわゆる「冷笑系」を僕は本当に許せない。
冷笑系に何度か同じようなことを言われた過去があるが、たまにふと思い出しては1人癇癪を起こして怒りに燃えている。もう目の前にいない敵に対して(笑)
そうそう、1人癇癪する人いませんか?
考えなきゃいい過去とか誰かに言われたことを、何かの瞬間にふと思い出しては不快になったり、怒りが湧いたりするんですよね。
ちなみにこの記事も「過去にあんなこと言われたな」と仕事中にふと思い出して、無事に脳内癇癪起こしたので発散するために書いてます。
...話を戻そう。
このタイプの足引っ張りは成功して欲しくないとか、上手く行って欲しくないとか、そういう「君には頑張って欲しくない」というニュアンスが、負の感情が、滲み出すぎてて言われた側もわかりやすく流しやすい。(さっき1人癇癪してましたやん)
ただし、この世にはもっと厄介な存在がいる。
それは、「ポジティブ足引っ張りの民」だ。
ネガティブ足引っ張りと違うのは、一見すると負の感情は感じさせずに、心配してくれてるように映ることだ。だが、心配しているような顔をして本心は足を引っ張りたいという曲者がいる。
「そんなに頑張らない方が良いよ」
一見すると、気遣ってくれているようにも見える。しかし実際には「挑戦すること」を妨害する言葉だ。本当に何かを心配しているなら具体的な休息方法を提案したり、手を貸してくれてもおかしくない。
あなたに休んで欲しいという思いは確かにあるのだ、ただしその気持ちは「あなたに頑張って欲しくない」という歪んだ願望が隠れているかもしれない。
危ない危ない。うっかり甘い優しい心配の言葉に騙されるところだったな。38度くらい熱があったら騙されてしまいそうだ。ちなみにこれは、一番見破りづらい「ポジティブ足引っ張りの民」だ。
「失敗したらどうするの?」
これもあるあるだ。何かしら新しいアクションを起こすということは、そもそも失敗の可能性の方が当たり前に高い。そんなことはわかった上でやっているわけだが、「ポジティブ足引っ張りの民」は成功する可能性を無視する特徴にある。
本当に応援してくれるような人なら「失敗しても、こうすれば大丈夫だよ!」とか「失敗しても別に良いじゃない」と言ってくれそうだが、そうではないみたいだ。
「⚪︎⚪︎さんも同じことやってたけど上手くいってなかったよ」
まるで「先に失敗した人がいるからやめた方がいい」と言っているようだが、他人の失敗が自分の失敗になるとは限らない。
むしろその人がなぜ失敗したのか学ぶべきで、分析して次に活かせるチャンスでもある。「あの人は⚪︎⚪︎で失敗してたから△△すれば上手くいくかもよ!」と言ってくれるならまだしも、こういう言葉を投げかけてくる人は「やめた方がいい理由」を探してるだけっていうパターンが大半だ。
ここに挙げた例に限らず、こういった巧妙な「ポジティブ足引っ張りの民」は時としてあなたの前に突然現れる。
相手は心配してる顔で不安を煽ってきたり、甘い優しい言葉で惑わしてきて、心を揺さぶってくる。
自分がやる気で燃えているタイミングならそんな言葉も聞く耳を持たずに対応できるかもしれないが、モチベーションが低下しているタイミングや、体調が優れない時に「ポジティブ足っ張りの民」に遭遇すると、意外にも心が持っていかれそうになったりするかもしれない。
この人は、本当に自分のことを思って
言ってくれているのか?
と、一度しっかりと考えてみよう。
心配をするふりをして足を引っ張る人は「相手のため」と言いながら、「自分が置いていかれたくない」と思っている事がある。
置いていくとか置いていかれるとか、正直しょうもない価値観だと個人的には思ってしまうが、実際に「スパイト行動」という言葉がある。
「自分が多少損してでも、相手に絶対得をさせたくない人」
が、この世には確かにいる。おー怖い。
あの人たちは、「置いていかれたくなさそうな顔」をしていなかっただろうか?
唐突だが今日、iPadProを買った。
出先でちょっとした空き時間に執筆活動を出来るようにと思って買ったのだが、iPadProにするかMacBookAirにするか仕事中ずっと迷っていた。
結局売り場でも迷っていていたせいで買う時間も遅くなったし、今日のnoteを書く時間がギリギリである!!
別に毎日更新しなきゃいけないわけではないが、出来ればほぼ毎日継続させたい。このnoteには僕の中で色々な意味があるのだ。自分の考えを整理する、発信する、共有する、俯瞰して見てみる、そんな味わいを楽しみたいのだ。
そのうち小説も書きたい。
やりたいことが沢山ある。