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令和の「格差」と「危機感」
ちょっと、本当に僕ら世代が一番危機感を持つべきだと思うので書きたい。
早速だが、令和は過去に比べて時間の進むスピードが圧倒的に早い。なぜか? それはスマホやSNSなど、ネットの普及によって情報が民主化されたからだ。
平成までは、
世の中の変化が今よりも遅かった。
それは「情報が不足していたから」
親や先生の言うこと、すなわち「過去の正解」とされていた生き方を頼りにしてのんびり生きても良かった時代。
でも今は違う。情報が民主化された。
スマホやSNSの普及によって、富裕層も貧困層も、大人も子供も、等しく同じ情報にアクセスできる。 昔は限られた人間しか得られなかった知識も、今では誰でも手に入れられる。
つまり、かつては情報そのものが格差を生んでいたが、令和では「情報をどう扱うか」が格差を生む。
情報を理解・収集する知能や教養を含めた「感度の格差」と、情報を活用する「行動力の格差」こそが、現代の格差の本質と思う。
たとえば、今なら資金は別として、やろうと思えば誰でも料理店を開店できる。 昔は経験者や専門家に聞かないと分からなかったことも、今ではネット上に情報が揃っているわけだから。
たとえば、個人のスキルをココナラやクラウドワークスで売って副業をしたり、Udemyで新たに学んだって良いわけである。
最近は「やる気格差」も実感する。
社会が便利になりすぎたことで、サボろうと思えばいくらでもサボれる。一方で、やる気のある人は自分で調べ、どんどん前に進める。
→そうして、令和の格差は生まれる。
一般的に「格差」と言うと「金銭的な格差」に注目しがちだが、令和では「情報社会に対する感度の差」や「行動力」、つまり「精神的な格差」の方が影響が大きい。
最新の情報に触れているかどうかで差が生まれるのは「当たり前」。
最新のテクノロジーを活用するかしないかで差がつくのも「当たり前」。
だから、令和において「人との差を生む要因」は、「情報への感度」と「行動力」に集約される。
これこそが唯一の価値となり、構造的にそこでしか格差が生まれなくなった。
よって、令和のプラットフォームを使って効率よくお金を稼いで時間を最大化する人や、趣味を発信して副業に昇華させる人など、個人の幸福値の格差は広がってるっぽい。
逆に!!始まりはその程度の格差だから、
昔よりも「全員にワンチャンある」ということ。
何かしらやってる人は一緒に頑張ろう!!!
閉塞感漂う日本を盛り上げて欲しい(笑)
あと、今の世の中の構造として、一部の人がハイパー金持ちになったり、スーパー有名人になって、それがSNSで可視化しちゃうけれど、SNS時代でもうそれは止めらんないし、構造的に仕方ないから、そこを羨んでもしょうがないと思う。
そんなことより、こんなテクノロジーも発達して、恵まれてる良い時代に生まれてるんだから、出来ること、やれることを見つけて、自分は自分で楽しく生きることだけ考えよう!
僕は必ず前向きな着地をすると決めているので、本編はここまで。以下は蛇足ですが大事なこと。
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令和の子育てへの影響について
蛇足だが、
価値観の変化は子育てにダイレクトに影響する。
僕と同年代の30代くらいの人たちは、ちょうど子育て世代の真っ最中だが、価値観をアップデートしないと「平成と令和の狭間」に取り残された、中途半端な価値観の子供が生まれてもおかしくないと思ってる。
なぜなら僕ら世代は、
一番「板挟み」になっているからだ。
僕ら世代が一番、IT革命において中途半端な位置にいる。早すぎず遅すぎない、IT普及初期は小学生っていう微妙すぎるタイミングで、高校生くらいにスマホが出始めて、そこからSNSが爆発的に普及したのは高校卒業してからだろう。
そしてITの成長と共に歩み、ちょうど今AIが台頭してきた時に、子育てのタイミングである。
僕らが子供の頃は「携帯は小学校高学年や中学生から」が当たり前だったが、今そんなことをしていたら社会の流れが速すぎて、もはやお話にならない。
社会の時間の流れ、世の中の流れが早くなっているのなら、今まで当たり前だと思っていた事のタイミングも早めるべきと思う。
IT革命、情報革命で、もはや僕らの子供時代とは
「まったく違う世界」になったと思っていい。
だからこそ、まずは「時代の流れ」に時計の針を合わせることが必要だと思うし、価値観を流動的にアップデートして、動きの速い令和に最適化しないといけない。
正直、今の子供たちは「親や先生の言うこと」を聞く必要すらないのかもしれない。
なぜなら、親や先生が持っている情報に価値がないからだ。
この令和の時代に、30年前、15年前の知識が
何の役に立つのだろう?