昭和奇譚 「勇鳩・ハヤテ」
「ハトが・・、ハトが・・・ッ!」
空き地でハンドベースをしているわたㇲに
息を切らしながらヨタヨタと祖母が駆け寄ってきた。
「ノラにやられたぁ・・・!」
「ノラ・・ノラ猫ッ!?」
察したわたㇲは愕然とし、カラーボールを放り投げて
自宅のハト小屋へと走った。
小屋の戸は開いていて中の惨状にわたㇲはその場に
へたり込んだ。
栗のアズサと灰ニ引のサムは居なくなっていて、
灰ニ引のチカゲと黒胡麻のキ44が血まみれの床に転がり
チカゲは無残な形で絶命、キ44はパタ・・パタ・・
と苦しそうに動いていた。
祖母が言うには、外で物凄い音がしたので庭へ出てみると
ハト小屋の中で猫がハトを襲っていた・・
祖母はあわてて小屋の戸を開けると、猫は逃げていき
ハトも何羽か飛んで行ってしまったと・・。
「・・!!」
「しまったぁ・・!トラップ台から猫は入ったんだ・・!!」
ハトは放鳩から戻って来ると、トラップという真ちゅうで出来た細い棒状の道具が取り付けてある小さな入口から小屋へ入る。普段、ハトが中にいる時にはそこの到着台を下からパタリと閉め出られないようにしている。
「ノラ猫だよ。近所の飼い猫ではなかった・・」
祖母が苦々しく言い足した。
とにかくキ44の手当てを・・と、中へ入り奥の巣箱も除くと
パックリ(灰栗)ニ引のハヤテは居た!!
巣皿でしっかり抱卵をしている・・・が
羽毛はバサバサになっていて、触ってみると頭から首にかけて3センチほどひっかき傷があり
血が滲んでいた・・・。
(逃げずに懸命に卵を守ったんだ・・・!)
すぐにハヤテの手当てもーー・・
(いや、ぐったりしているキ44が先だ!)
わたㇲは両手でキ44をそっと包み上げ風呂場へ急いだ。
前年、1964年の東京オリンピック開会式での放鳩行事の影響で
飼鳩はわたㇲら子供の間でもちょっとしたブームになっていた。
クラスのナカジは仲のいいタックンとハトを飼い始めて楽しそうに語り合っていたが、わたㇲはあまりそれに興味はなかった。
ある日、学校の帰り道でナカジが、ヒナに足環を入れるんだとタックンに話しているのを聞いて、ちょっと見てみたくなり家に付いていった。
『孵化して1週間くらいで入れないと入んなくなっちゃうからサ』
ナカジは実に手際よくヒナに足環を差し込んだが、
それよりわたㇲが強く関心を持ったのは、ハト小屋だった。
リンゴ箱2つと廃材のようなもので作ってあるのだが、
弛んで張ってある金網や、ちょっと斜めってるハトの入口、
開閉危なっかしそうな掃除口、巣箱など・・
いかにもわたㇲら小学生が一生懸命作った感が、なんともそそられたのだった。
わたㇲは、絵を上手く描くことが唯一の取り得だったが、図画工作の時間の工作は苦手で手先は不器用な方だ。
けれども、ミニチュアハウスやジオラマなどには惹かれるものがあったので、ナカジの作った”小さな自分だけの世界”というものを見て、興味をかき立てられずにはいられなくなっていた。
タックンの所は、つがいがまだ抱卵中だというので、それも見せてもらいに家について行った。
小屋はナカジのよりヒドイ出来に見えたが、タックンは掃除口を開けやおら2羽を捕まえると解き放ち、トラップ台の蓋を開けながら『30分くらいで戻って来るんだよ』と、飛び上がっていく愛鳩を嬉しそうに眺めながら言った。
そして、抱卵しているハトをそぉっと除けて卵を見せてくれたのだが、そのハトの茶のなんと美しいこと!
初めて見る”栗”という種のハトにも大いに心惹かれたのだった。
風呂場で洗面器に水を汲み、泣きながらキ44の手当てを試みたが傷は手に負えない程酷く、祖母が脱脂綿とオキシドールを持って来てくれたときには首は垂れ動かなくなった・・・。
ハヤテも気になり、すぐに小屋へ戻ると、辛そうだがジッと卵を抱えている・・。傷の様子を見ようと小屋へ入る・・・・・
「あ・・ッ!!」
巣箱の下の床に、卵がひとつ落ちて割れている・・・!
ハトは卵を2コ産むが、割れたりして揃ってないと、抱卵しなくなってしまうという・・
(すぐに擬卵抱かせなきゃ・・!)
しかし、ハヤテとアズサのつがいを譲り受けたばかりなので擬卵までは用意してなかった。
庭の隅でチカゲとキ44を埋葬する穴を掘っている祖母に
「ギラン買いに町へ行ってくる!」と、自転車に飛び乗った。
飛び去っていったアズサ、サムは無傷だったとしても帰って来る事はないだろう・・まだトラップ台から中へ入る程度の帰巣訓練しかしてなかったのだから・・
(あッ!ハヤテもだッ)(ハヤテは中にいるんだ・・トラップ台の蓋・・・!)
放鳩したらハトの入り口のトラップ台(の蓋)は開けて置き、全鳩帰巣するまで見てなくちゃならない義務があるのに・・
キ44とチカゲの帰巣を見ててやらず、わたㇲは誘われてつい、ハンドベースをやりに行ってしまったのだった・・。
また閉め忘れたのに気付いて(戻らなきゃーー・・)
とは思うも
祖母が気を利かせてくれるかもしれないし・・
(今は擬卵、擬卵が先だ・・!)
「ごめんよ~ハヤテ~!無事でいてくれよ~!」
泣きながらトリ屋のある町まで自転車を走らせるのだった。
『オレもハト飼ってみたい!』
そう言うわたㇲに、ナカジとタックンは嬉しそうに、ハトに関するいろいろな事を教えてくれた。
両親にも話すと 『かかる費用は小遣いで賄う。最後まで責任を持つ』この2つを約束され、意外にあっさりОKをもらえた。
ナカジもタックンもそうだが、公営住宅2軒長屋のウチにも庭はあり、入口の左端、日当たりのいい場所を確保し、小屋作りから始めた。
最初のはみんな、1m四方の小屋をリンゴ箱で作る・・、
リンゴ箱は八百屋さんなどで数十円で売ってくれるそうだが、
わたㇲのウチは、毎年秋田の田舎からリンゴが送られてくるので、リンゴ箱の不自由はなかった。
工作は苦手でも、”小さな自分だけの世界”作りは本当に楽しく
ナカジやタックンに少し手伝ってもらい、2日で畳一畳ほどの広さ、高さ2mの”鳩舎”を完成させた。
そしてその日のうちにハトを買いにトリ屋へ・・。
軍資金は貯金やお年玉を貯めていてたっぷりある。
トリ屋には、7羽ハトが売りに出ていて、どれがいいか判らないわたㇲは、見た目で黒色の中に灰色の斑点がある黒胡麻という雄と、全身灰色で2本の黒条の線があり尾羽にサシという白色の羽根が生えている雌の2羽を選んだ。どちらも800円。
その時、横にいた客がわたㇲを見てコクリとうなずいたのだが
わたㇲに同行していたナカジとタックンも知り合いだったようで、その人はカトウさんという名で、本格的にレース鳩を飼育している大学生、と言う事だった。
購入した2羽に、さっそく名前を付けた。それがキ44とチカゲだった。
キ44は、「戦闘機図鑑」にあった日本陸軍「鍾馗」の試作名称から、チカゲは、コマーシャルで流行っていた「私にも写せます」の扇千景からとった。
毎日、遊びも宿題もそっちのけで2羽の飼育に夢中になった。
帰巣訓練も根気よく行なった。2羽はつがいにはなってくれてないようだったが、放鳩で小屋まで帰ってきてトラップ台から中へ入った日は、嬉しくて感泣した。
そして、レース鳩を飼育しているカトウさんの鳩舎へもしょっちゅう通うようになったある日、
カトウ鳩舎でわたㇲが1番気になって見ていた、”栗”という種のつがいを、『譲ってもいいがどうか』と聞かれ・・
2羽じゃ寂しいだろうし、雌の栗を虐めるハトがいるので・・と
もう1羽とつがいの血統書を付けて10,000円。
貯金では2,000円ほど足りない・・が、栗色に惹かれてるわたㇲは
即断即決。
父親には少し叱られたが、毎月小遣いから天引きすることで、なんとか足りない分の工面はできたのだった。
さっそく、加藤さんが”パックリ”と呼んでいた灰栗ニ引の雄をハヤテと名付け、雌の栗をアズサ、もう1羽の雄灰ニ引をサムと付けた。
ハヤテは陸軍戦闘機の疾風、アズサは「こんにちわ赤ちゃん」の梓みちよ、サムは海軍戦闘機烈風コードネームSAМから、とった。
パックリのハヤテは、雄らしいガッシリとした体格、栗色がかった灰色で翼に栗色の線が2本(ニ引)、尾羽にチカゲと同じ白色の羽根”サシ”が生えている。羽毛に艶もあり生気に満ちた感じの洗練された美しいハト。
優美な栗色の雌のアズサは、主翼羽根、尾翼は灰栗色。羽毛がシルクタッチでわたㇲが1番気に入ってる種だ。
そして全身灰色ニ引サムは、ハヤテより若干細いが筋肉に弾力があり、なかなか凛々しい感じの雄。
3羽ともカトウ鳩舎で孵化し、”巣立ち”を終えている。
先住の、黒色の中に灰色の斑点がある雄の黒胡麻キ44は、帰巣をすぐに覚えたアタマの良いハト、
チカゲは、名の通り雌で、サムと同じ全身灰色ニ引。
帰巣を覚えたチカゲとサムは自由に飛び回り、譲り受けた3羽の訓練も始めた頃、用意しておいた巣皿にアズサが産卵した。
ハトは1年中繁殖するので、多いときで1つのつがいから10羽ほどのハト産まれる。
ヒナを育てるのと抱卵を同時に行う習性もあるため、次々と数を増やすことができるのだ。
ひとつ産むと、中1日ほどを置いて第2卵を産む。この2つの卵が揃うと、オスとメスが交互に卵を抱く、抱卵を始める。
抱卵はハヤテが昼、アズサが夜、甲斐甲斐しく受け持っている様子がなんとも微笑ましい。
そうして約18日間、抱卵を続けると、ヒナが孵るのだ!
(新しく生まれた命をこのオレが育てる・・!)
なんて、素晴らしい事・・・・・!
有頂天になっていた。
浮かれ気分だった。
放鳩したサムとチカゲが近くまで戻ってきているのを確認していながら
呼びに来た友達の誘いに乗って近くの空き地までハンドベースをしに行ってしまったのだった・・・・・。
擬卵は30円した。本物と同じ大きさで、中に水が入っていた。ビニールで出来ている、ままごとの野菜や果物、あんな感じだ。
必死で帰りを急ぐ!
(ハヤテ~無事でいてくれ~・・・・・!)
町からは、自転車でどんなに急いで帰っても10分はかかる距離・・
あたりが薄暗くなり始めた頃、家に着いた。
(ハヤテの様子は・・・!)
(急いで擬卵を~・・・!)
「あッ・・・・・・!!」
なんと!巣箱に2羽!!・・・・・
アズサが・・・帰ってきている!!
卵を温めている!
その横に・・ぴったりくっつくように・・
ハヤテが寄り添っている・・・・・!!
帰巣訓練も始めたばかりで、飛び去ってしまえば帰れるはずないのに・・
卵を温めに・・ハヤテのもとに・・
帰って来たのだ。
アズサは無傷だった。ハヤテの傷も大したことは無いようだ。
わたㇲは、ハヤテが勇敢に守った巣皿の卵に
嬉し涙と鼻水を垂らしながら擬卵を足してやった。
卵は無事に孵化し、黄色い産毛に包まれた弱々しかったヒナも
ハヤテとアズサから口移しにピジョン・ミルクという体液を与えられ、目も開き、ピーピーとうるさいくらい鳴くようになり
ぐんぐんと育ち、1週間・・・
足環を入れる日がきた。
ナカジとタックンも駆けつけてくれ、教わりながら無事ヒナに足環を入れることが出来た。
もしかしたら、サムは、カトウ鳩舎に帰ってるのでは・・と聞いてみたが、「帰ってない」という返事だった。
そして、カトウさんの悪評・・
譲ったハトが戻ってきても「違う」と突っぱね
血統書も偽で、安もののハトを騙して売りつけている
と、ナカジが知り合いのお兄さんから聞いたのだと・・。
しかしわたㇲは、そんな事はちっとも気にならなかった。
血統書なんて何が書いてあるのかもちんぷんかんぷんで解らず興味もなかったし、
そんなものは無くても、自分が気に入って手に入れた
ハヤテとアズサの
愛おしさ、愛くるしさは変わらないのだから!
そして、
羽色がハヤテに似てきて、まだ雄か雌かも判らないヒナを、
ピーピーとうるさく鳴いていたので
「ぴぃ」と名付けることにした。
***
町、と言うのは駅周辺の商店街やデパートの事で、私らは
「町へ行ってくる」「町で買ってきた」などと言っていた。
トリ屋と言っていたのも、小鳥屋のことで、ハトやインコの他に、カメや金魚も売ってるような店だった。
フィクション仕立てで話を作ったが、小屋が猫に襲われた事、アヤシイ血統書のハトを譲ってもらった・・というネタは、事実。
ハトは”小さな自分だけの世界”の小屋をコツコツと広げ、中1まで飼っていたが、諸事情で止めてしまった。
【参考文献】一般社団法人 日本鳩レース協会、ハトを飼ってみよう!-ブリード(繁殖)からレースまで、新しいペットの楽しみ方