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昭和奇譚「埋もれた記憶・・米軍機墜落」 ~そのエンジンは今なお、墜落現場地中深く埋まっている~
昭和39年4月 当時、わたㇲは10歳。
都道141号街道沿いの、雑木林と畑に囲まれた住宅空き地で、5~6人で三角ベースの遊びに興じていた、午後の4時過ぎだった。
「おおッ!カッコいい!!」誰かが空を見上げ叫んだ。
ほぼ真上で米軍のジェット機がわたㇲには妙な飛び方をしているように見えた。
(墜落する!)
直感でそう思って見上げ続けていたが、ボールが飛んできたのでそっちをさばいて一塁ベースへ・・。チェンジになり、打席に入ったその瞬間、
「ドーン!!」と物凄い轟音! この間2~3分・・もなかったかも知れない・・。
思わず全員が空を見上げた・・。
キラキラ光りながら落ちてくる破片数個とパラシュートが見えた。
「墜落したんだッ」
誰かがまた叫び、何故か全員でパラシュートを追いかけだした。
後で知ったが、轟音は墜落音だった。
西の方へ落下していくパラシュートに追いつけるはずもなく、そっちは途中で諦め、墜落した(であろう)本体を見に走ったが、大混雑の街道で立ち入りを規制され、2キロほど先の墜落現場からあがる黒煙を背に、もとの空き地に三角ベースの続きをしに戻って行った・・。
この時は、地元だけでなく隣町からも消防団が駆けつけ、その数は総勢400名以上にも達したということだった。
次の日、キラキラ落ちて来たジェット機の破片は、脱出した座席と風防だと知った。
クラスの女子の家の前の田んぼに座席が落ち、男子の家の屋根に風防が落ちたという事だった。その時の状況を2人からクラスの皆で聴いたのだが、風防の落下は、びっくりはしたが墜落音が大きかったのでそっちに気が言ってしまったと・・。座席は、外が騒がしいので出てみて気づいた・・。
どちらの家も、わたㇲの家から歩いても5分ほど。そのザンガイ、まだあるのか聞いたところ、異口同音に、とにかく、回収にくるのが速かったのでもうカケラもない、という事だった。
ジェット機は、市の中心部、国鉄横浜線傍の民家に墜落。7戸が全焼、7戸が半壊。4名が亡くなり、32名の重軽傷者をだした。
パイロットは、墜落現場より役2キロ離れた団地に着地、足を骨折し病院に収容された。
そして、墜落機のエンジンは、引き上げ作業が予想外に難航したために断念、
墜落現場には今なお、そのエンジンが地中深く埋まっているとされる・・。
(墜落する!!)・・
あの時感じた”直感”がトラウマとなったのか、
以後60年間、空を飛んでいる飛行機が(落ちる!)と思った瞬間に近くに墜落していく夢を、未だに定期的に見続けている・・・。
***
墜落機は、F8U-2クルセイダージェット戦闘機。調べてみたが、墜落の原因は事故としか判らなかった。 余談だが、当時は、米軍機にしろ自衛隊機にしろ、飛行機にアメリカのマークや日の丸が地上からはっきり見て取れたものだったナ・・。
空中分解せず角度60で墜落、燃料も少なかった。これが、角度がもっと小さく、滑走という事態が起こっていれば、市の中心部は甚大な被害を受けていたに違いない・・。
平成11年に、航空自衛隊機の入間川墜落事故というのがあった。墜落の直前まで2名のパイロットは、入間川沿いの住宅地や学校を避けるために操縦を続け、脱出が遅れ共に殉職した・・。
当時の米軍機墜落事故と対比してみて・・、トラブルで民家に墜落すると分った場合、今の米軍機なら、どうするだろうか・・・。