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昭和奇譚「かいとうブラックデビル」


 ぼくのうちにもついにテレビがきた。
これで、かずちゃんちやせがわさんちに
見せてもらいにいかなくてよくなった。
ぼくは、ばんぐみのなかでは少年ジェットが
いちばんすきだ。
こまっちゃんもすきだといってた。
こまっちゃんは家にテレビがないので
ぼくんちに見せてもらいにくるようになった。
こまっちゃんは16さいで、やかん学校にかよっている。
少年ジェットの日はごはんをたべおわったころにくる。
外から「テレビ見せてくださーい」っていってくるけど
ときどき、こえがきこえなくてばんぐみが
はじまっちゃうときもある。
こまっちゃんはジェットのスクーターと犬のシェーンが
すきみたいだ。
ぼくもジェットがいちばんかっこよくてすきだ。
ミラクルボイスの、「うーやーたー」はよくまねをして
あそぶ。
いちばんきらいなのはブラックデビルだ。
ブラックデビルのでんこうステッキはかっこいいけど
でてくるとこわいなあと思っちゃうのできらいだ。
きんじょの、いつもまっ赤なかおでオニみたいに
おこってるがいじんみたいだからだ。
がいじんは、でっかいし日本ごをしゃべらないから
こわい。
それにブラックデビルはよくゆめにでてくるからこわい。
すっごくこわいゆめだ。
ゼットお~といってステッキをむけると、でっかい体になり
まっ赤なかおの、きんじょのがいじんになるからこわい。
ブラックデビルは、ジェットのことをゼットお~という。
がいじんなのに、なんでジェットっていわないのか
こまっちゃんにきいたら、ブラックデビルの人は
ほんとうはがいじんじゃなくて、はんぶんスコットランド
の人で、ゼットお~は、なまりだと教えてくれた。
こまっちゃんは、テレビやえいがやまんがにすごく
くわしい。
ブラックデビルの人は、高田むねひこというはいゆうで、
ブラックデビルをやっているので、きらわれたり石を
なげられたりされるけど、
ほんとうはやさしい人なんだとおしえてくれた。
 ある日こまっちゃんが、少年ジェットのさつえいを
きんじょでやるから見にいこうといった。
きんじょといっても、じでんしゃでずっとくだって
いったところで、たくちかいはつとかしているばしょだ。
貝のかせきもすごくとれるみたいだ。
ぼくのじでんしゃは、きょねんこまっちゃんに
ほじょぐるまをはずしてもらったので、それでいこうと
こまっちゃんはいった。
 ぼくがうしろにのって、20ぷんぐらいでさつえいげんばに
ついた。
けんがくしゃもいて、人がいっぱいだった。
少年ジェットの人とブラックデビルの人がなにか
はなしあっていた。
犬のシェーンはいなかった。
さつえいがはじまり、はじめにカメラの人がジェットが
ミラクルボイスをするところをさつえいした。
「うーやーたー」のほんものをはじめて見た。
だけど、風もふかないし地面もゆれなかった。
次に、でっかいでっかいせんぷうきをブラックデビルたちに
むけてまわした。
せんぷうきのよこでしゃがんでいる人が、紙くずやゴミみたいなのを、風のほうになげて
すごい風とゴミの中、ブラックデビルたちは、苦しそうにくるくるまわって、それをカメラマンの人がカメラをぐらぐらさせてさつえいしていた。
 さつえいが終わると、子どもたちがジェットのところに
あつまり、あくしゅやサインをもらっていた。
でもぼくは、まよわずブラックデビルのほうにはしった。
ちょっとこわかったけど、なぜかというとデビルの高田さんに
わたしたいものがあったからだ。
デビルの高田さんは、ヒゲとかた目のサングラスはとって
たばこをすっていたけど、
ぼくを見るとたばこを消しながらにっこりわらってくれた。
ぼくは「サインしてください。ブラックデビルはちょっと
こわいけどカッコイイです」といって
自由ちょうをだした。
高田さんは「はいはい、ぼく何年生?」といいながら
自由ちょうにすらすらサインをかいてくれた。
ぼくは「2年生です。はい、これ」といって
自由ちょうにはさんできたわたしたかったものをわたした。
それは、こまっちゃんにおしえてもらいながらかいた
ブラックデビルの絵だ。
高田さんは「オ~サンキュウ~サンキュウ~~」と
ブラックデビルのえんぎでりょう手をひろげ、
「だいじにしま~す」といってぼくをだきよせてくれた。
そして「おれいにこれあげま~す」と
ほんものの、でんこうステッキと白いおっきな
ちょうネクタイを首からとってぼくにくれた。
「すげーほんものだ」とこまっちゃんのほうを見ると
こまっちゃんはまっ赤なかおをしながら高田さんに
あくしゅしてもらっていた。
そして高田さんは、ライターでたばこに火をつけ
「うう~~ゼットお~~」とブラックデビルのいいかたで
かんとくさんみたいな人たちのほうへマントをひるがえし
カッコよくさっていった。
高田さんは近くで見ると、やっぱりがいじんぽいかおを
していた。
ぼくは、つぎから少年ジェットごっこをやるときは、
まっさきにブラックデビルのやくをやって
このステッキとちょうネクタイを見せびらかして
やろうときめた。
 ぼくはまだ、ときどきブラックデビルのゆめを
みるけど、
「ゼットお~」といったとたん、デビルは
ヒゲもかた目のサングラスもない、やさしいかおの
高田さんになっていた。
  おわり。


***
Wikiより
「少年ジェット」は
1959年3月4日から1960年9月28日まで大映テレビ室製作でフジテレビにて放映された。ヱスビー食品の一社提供番組。また1962年8月5日から1963年1月27日までは続編の『新・少年ジェット』が放映された。
高田宗彦(たかだ むねひこ、本名:松本 慈美、1916年9月15日[1] - 2004年3月31日[1])は、長崎県島原市出身の俳優。長女は、女優の松本留美。
父親はスコットランド人で、その日本人離れした容貌から、戦時中は「鬼畜米英」と罵られ、つらい思いをしたという。
戦後、大映の社員俳優として、大映倒産時まで在籍した。外国人役を中心に数多くの作品に出演したが、ほとんどが端役である。大映が初めて製作したテレビ映画『少年ジェット』では、ジェットの宿敵のジャック・ジェームス、怪盗ブラック・デビルを演じて人気を集めたが、視聴者の子ども達からテレビ番組での役柄と混同され、私生活では石を投げられたり、家族で銭湯に行くとお湯をかけられたりと、苦労もあったという。しかし当時のファンの回想によれば、高田がファンからサインを求められた際それに喜んで応じているのを見て、自分もブラック・デビルが好きになったという。『少年ジェット』での人気により大映以外の映画会社から移籍の話があったが、家族からの反対もあり大映に留まった。
大映倒産後は、演劇学校の講師を務めた。


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