旧前田家本邸(駒場)
東京大学駒場キャンパスと、先端科学技術研究センターにサンドイッチされた場所に、旧前田家本邸があります。この場所、「駒場公園」とか「近代文学博物館(だった時期がある)」とかいろいろな名前で呼ばれているので、ここにお屋敷があることになかなか気づかないかもしれない(敷地内に「日本近代文学館」もあるのでよけいややこしい)。見学したときも人がほとんどおらず、ほぼ貸切状態で楽しめました。
誰でも入れて、館内も入場無料(2024年7月現在)なので、子供時代に迷い込みたい場所です。幼少期にうっかり見たら絶対、ここに秘密のお城がある、と勘違いしそう。
近所に「日本民藝館」もあるので、1日使って回ってもいいくらい充実したエリアです。
このお屋敷は、前田家第16代当主の利為(としなり)侯爵(1885-1942)が建てたもので、洋館と和館があります。この時期の日本のお屋敷は、洋館と和館をセットでつくることが多いみたいです。あと、両方に広大な庭がついてきます。
ふつう、洋館はあくまで迎賓館として使い、日常生活は和館で、というパターンが多いのですが、前田侯爵は逆だったそうです。調べてみたら、大正2-5年、大正9-12年、昭和2-5年の3回(トータル15年くらい?)、ヨーロッパに滞在しているようでした。このお屋敷は3回目の渡欧中にリモートでつくっているので(昭和4年に完成)、帰国後に住む気まんまんですよね(帰ってきたら西洋式のあたらしいおうちが待っている渡欧生活、うらやましい)。
ある程度、西洋建築の知識がある状態で、自分が住みやすいように設計してもらったんだろうなと思います。そういう視点で見ると、御雇外国人のおすすめ設計でつくられたお屋敷とは、居心地に違いがあるのかもしれないです。
旧古川邸の学芸員さんから「洋館は住みづらかったので、当主は結局1年半くらいで他に移ってしまった」というお話をうかがったとき、えええーもったいない、と思ったんですが、畳の暮らしに慣れていると、ふつうはそうなりますよね。時折、畳の上で大の字になりたくなる感覚、DNAに刻み込まれていると思う。
洋館編
駒場のカントリーハウス
前田家はもともと本郷のお屋敷(1907年完成)に住んでいたのですが、関東大震災後の東京帝国大学(駒場の農学部)との土地交換(大学側はとにかく近場に土地が欲しい。まあどこもそうなりますし、今もそうですよね)で駒場に移住することになりました。
本郷邸がゴージャスなルネサンス様式で疲れたので、駒場邸はイギリスのカントリーハウスっぽくしてくつろげるようにしよう、ということでこういうデザインになったそうです。本場のカントリーハウスも十分ゴージャスな気もしますが(場合によってはほぼ「城」なこともあるし)、やはり庶民とは感覚が違う。これでも(本郷時代とは違う)質素な暮らしを目指したらしい。天皇に遊びにきていただく、という悲願は本郷邸で果たしているので、それはもういいかなというのもあったのかも。
洋館は地上3階地下1階という構成で、1階は社交スペース、2階は生活の場、3階は洗濯室、地下は厨房という感じに使い分けられていたようです。見学できたのは1階と2階ですが、3階と地下も見てみたかった。夢がひろがる。
設計は、
・設計監督者:東京帝国大学教授 塚本靖工学博士
・洋館:宮内省内匠寮工務課技師 高橋貞太郎
・和館:帝室技芸員 佐々木岩次郎
というふうに、複数の設計者で分担しておこなわれたようです。
デザインには、イギリスのチューダー様式を取り入れているそうです。15世紀末から16世紀半ばまでの建築様式で、王様の名前でいうと、ヘンリー8世(チューダー朝第2代)からその娘エリザベス1世(第5代)あたり。エリザベス1世のあとはジェームズ1世で、ジャコビアン様式が始まってしまうので覚えやすいです。
(この建物では、円を縦にぎゅっと潰したような、楕円形のアーチがシンボル的に繰り返されているんですが、わたしが持っている建築の本で「チューダーアーチ」とされているのは、トップに尖ったところを持つものなので、ひとまず楕円形アーチとだけ書いておきます)
建築様式、言われたらそうかも?って思うけど、言われるまではなかなかわかんないです。
洋館の外壁には、スクラッチタイルが貼られています。駒場キャンパスの1号館(1933年完成)もスクラッチタイルで、外壁の感じが似ていて、まるでお揃いでつくられたような感じがします(同じ人が設計したのかな、くらいに思っていた)。この洋館は1929年完成で時期的に近いので、同じようなスクラッチタイルが使われていたんでしょうか。
駒場は武蔵野の面影を残した田園地帯(田舎)だからカントリーハウス、という発想、今では考えられないですが、江戸時代は幕府の鷹狩場だったそうなので、開発前はのどかな風景が広がっていたんだろうなと思います。実際、明治期に(政府が自由に使える土地のうち)農学部をつくるならここ、ということで選ばれているわけで。
前田侯爵が土地交換に応じたのも、ヨーロッパだとむしろ田舎が有り難がられる(都会を目指すのは日本特有の現象らしい)という感覚があったからなのかも。あと、等価交換だから本郷より広々とした場所(約12,600坪→約51,500坪)に移れますし。
駒場邸の経緯を整理してみると、だいたいこんな感じです。
1926(大正15)年 東京帝国大学農学部(駒場)と土地交換
1927(昭和2)年 前田利為渡英
1929(昭和4)年 洋館完成
1930(昭和5)年 和館完成 前田利為帰国
このあと、太平洋戦争末期に中島飛行機の本社が疎開してきたり、GHQに接収されたり、国の所有になったりしたあと、東京都が周辺含めて駒場公園として整備して、今に至るようです。
年号表記、大正末期とか昭和のはじめとかの判別にはたしかに便利なんですが、西暦でいうとどのくらい?という感覚をつかむのが難しい。とはいえ、昔の本とか資料は有無を言わせず年号で話が進んでいくので、ひとまずこれだけ覚えるようにしています(でもすぐ忘れるのでメモを見るけど)。
1868年 明治元年
1877年 明治10年
1887年 明治20年
1900年 明治33年
1912年 明治45年&大正元年
1923年 大正12年←関東大震災
1926年 大正15年&昭和元年
1935年 昭和10年
1945年 昭和20年←終戦(GHQ接収)
日本の近代建築にとって、関東大震災(倒壊)と終戦(空襲で焼失とかGHQとか)はターニングポイントなので、この年号対応も覚えておくと、資料読みがいろいろ捗ります。
そもそもイギリスのカントリーハウスって何?と検索していった結果、辿り着いたサイトです。エリザベス1世が家臣の田舎の家に行きたがり、家臣たちも女王が遊びに来てくれたら箔がついたり出世できたりするので、来てもらえるようにがんばった、みたいなことがことの発端らしい。居心地をよくした結果、王族が気に入りすぎて没収されちゃった邸宅などもあるらしいです。
無料で見学できるお屋敷
ありがたいことに、洋館、和館とも、無料で見学できます。同じ敷地内の日本近代文学館のついでに、ふらっと立ち寄ることも可能です。
近代文学館、展示がオタクなので、近代文学好きなかたにおすすめです。今はネットで資料をいろいろ見れますが、やっぱり3D空間で見たほうが記憶に残りやすい。
玄関で靴を脱いであがるスタイルなので、靴下を履いていく(夏場でサンダルなら持っていく)といいと思います。
人物撮影などはNGですが、館内撮影は可なので、お屋敷の資料収集にもいいです。東京都が持っているこういう施設は、だいたい撮影可なのがうれしいです。他の地域だと、外観以外は撮影NGなところが多いので。もしかしたら時代の流れで、撮影可のところも増えてきているのかもしれないですが。
階段、ただ上の階に行くための通路じゃないですよね…というのをあらためて感じます。現代だとこの役割を果たしているのはエスカレーターなのかなと思いますが、大きくはできるけど、ゴージャスにはなかなかできないですよね。
このお屋敷はGoogleマップで中に入れるようになっているので、館内散策できます。最近気づいたんですが、けっこういろいろな施設が中も見れるようになってるんですね。写真整理していて、この壁紙どこのだっけ?となったとき助かります。
どこまでが修復でどこまでがオリジナルなのかわからない部分もありますが、この状態を維持してくれてるのがとてもありがたいです。どっちにしても、いいもの使ってありますし。
照明とラジエーターカバー
このお屋敷は、ラジエーターカバーや通風口のような、網目状になる部分にこだわりがあります。なんとなく旧朝香宮邸(1933年完成)を思い出したのは、設計者が宮内省内匠寮工務課技師だったことも関係あるんでしょうか(コンドル設計の旧岩崎邸には網目状のデザインはあまり見かけず、こちらはどちらかというとオイルヒーターのデザインに並並ならぬこだわりを感じました。これもあとでまとめます)。
床の寄せ木細工
床は寄せ木細工でつくられていて、部屋ごとにデザインが違います。いろいろあるので、幾何学図形でつくるパターンの参考になります。シンプルなかたちの組み合わせで、いろんな模様が描けるんだなあと思います。
昭和のおうちはまだこういう床があったと思うんですが、いま同じ施工すると高くなりそうです。平行に並べるだけがフローリングではなかったな、ということを思い出しました。
仏教とゴシックのミックス
内装のデザインの傾向として、イギリスやフランスあたりから輸入したものを除くと、仏教系とゴシック系があるような気がしました。ある意味、どちらも宗教系ではありますが。
閉じた中庭
お屋敷の中庭側に開けている窓が好きです。
外の世界が見えなくて、住人感覚を味わえるので。
中庭があるお屋敷は、ここを必ずチェックします。
落ち着く裏方スペース
お屋敷で働いていたスタッフは、100人以上いたらしい。住み込みできる寮みたいなところ、たぶんどこかにあったでしょうね。
地元の加賀藩から、社会見学&行儀見習いみたいな感じで働きにきている方もいたらしいです。こんなお屋敷に勤務してたら、地元に帰ったときのお話のタネにも困らないだろうなあと思います。現代でも珍しいのに、当時の感覚からしたら、外国に来たみたいな感じかもしれない。
加賀の石を持ってきて建物に使ったりと、地元愛にもあふれていたようです。館内には、加賀藩関連の資料を集めたライブラリーもありました。
和館編
和館は洋館の東側にあります。駒場東大前駅で降りて、駒場公園の東側の入り口から入ると、まずこの和館の存在が気になると思います。
こちらも人がほとんどいなくて、縁側から広い庭をぼんやり眺めるという、マンション暮らしではなかなかできない体験ができます。
たしかに外国のかたを接待するなら、こっちのほうが喜ばれそうですよね。
和館には2階があって、そこは立ち入り禁止エリアなので垣間見るだけでした。公開されることがあったら見てみたいです。
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