私なりの環世界論
ユクスキュルの環世界論を応用して
人間同士のものだと考えられたのなら
かなり生きやすくなるのではないだろうか。
それは同時に
人間という存在を否定するのかもしれない。
ただ、人間を人間だと認識しながら生きるのは
かなり大変だと考える。
人間の識別できる最小時間はあるにはあるが、
ときに、動きや仕事が遅い人に
イライラしてしまうこともあるだろう。
それはその人の運動することにおいての
細々としたスピード感の相違から生まれる
と置き換えるのだ。
そうすれば原因究明や比較ができたため、
イライラしにくくなるのではなだろうか。
ニュアンスは違うかもしれないが、
同じ世界を生きる仲間のように見えても
実は価値観も考え方も違えば
生き物としての特性すらも違う場合もあるのだ
宇宙レベルで考えると
本当にほんの少しの違いかもしれない。
ただその少しの違いが人間と人間とを塞ぐ、
ある一定の高さの柵だとすれば
この考え方は、その柵に気づくことのできる
きっかけになるのではないだろうか。
これはもしかすると
いいように解釈しずきなのかもしれない。
しかし、この少しの心持ちの違いが
心を軽くするものになるのではないだろうか。