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レールからはみ出したくて仕方ない病を患ってしまわれた

 生存確認。右肺よし。左心臓よし。お久しぶりです。どーも、日本ののーけー。です。

「海外にお前のモデルはいねーだろ」とツッコミがほしい今日この頃ですが、久々に記事を書きたくなってnoteを開きました。

 2021年に投稿して以来、しばらくnoteを開かなかったため、感覚を忘れてしまいましたが、このこれから自分の思いを文字で綴るという感覚は気持ち良いものです。

 さて2022年、私は大学4年生になり、就活も乗り切って今自分の時間を自分のやりたいことに充てられているのですが、私はレールからはみ出したくてしょうがないのです。

 こと電車や新幹線においては、脱線は大事故を招くものですが、人生の脱線は全て良くないことだとは微塵も思っていません。寧ろ、脱線を味わうことで、自分の人生に起伏を作り、かえって人生が良いものになるとさえ思っています。

 上記で、就活が終わったと書いたが、本当に私は会社に行きたくないのです。
「何を我儘なことを!」と言われるかもしれませんが、聞いてほしい。自分がまだ若いからこそこんな発言が出来ているのかもしれません。将来何年後かに自分でこの記事を読み返すためにもこれから自分の思いを綴っていく所存です。

 今、私はある資格の為にめちゃめちゃ勉強しています。(ちなみに割と難しいんだ、これが。)しかし、最近この勉強が私の将来を考える上での逃げ道になっているのではないかと考えてます。
 私の将来の目標はマルチクリエイターです。とにかくクリエイティブな活動をしたい。最近でも結婚式のMVを演出や楽曲制作、イラスト制作や動画制作まで全て私一人で行い、大変良い経験をさせていただきました。卒論でメタバースについての研究を行なっていますが、現実世界でもメタバース世界でも幅広い世界でクリエイティブ活動をしていきたいと思ってます。しかし、私の周りにその考えを持ち、「クリエイティブな活動をしていきたい!」と考えている方はいません。すると、自然に私の比べる対象が日本で有名なクリエイターになってくるのです。

 毎日挫折。本当に毎日挫折しています。なんでこれができないと思う毎日だし、比べる相手は超一流。自分の足りない部分が浮き彫りになり、心の余裕なんてものは無くなる毎日です。そんな中で私はいつも自分のやっていること、やりたいことに対して疑問を持っています。でもそれでも前を向いて頑張っているつもりではいます。そういう毎日の中で、資格の勉強は今や私の憩いの時間となっています。考えることはその勉強内容でいいのだから。雑念を排除して、静かな空間で生きることができます。
 しかし、その勉強を終えると、また温泉のように焦りが湧き出てきます。でも私は人生に安定を持ちたくない。そういう道を選択してしまったのです。
これから取ろうとしている資格も、これさえあれば人生安定になるなんて1ミリも思ってません。今の勉強は最低限の人生のリスクヘッジにすぎないからです。しかも、勉強は一生するものですよね?

 そういった選択をし続けている自分を客観視すると、次第に自分の価値観が見えてきます。

 世の中には「安定を求める人」と「安定からはみ出したい人」の2種類が存在しています。
 私は後者です。勿論、安定を求める人を私はとても尊敬しているし、私の両親が公務員なので、安定というもので育ったといっても過言ではありません。私には出来ないことをやっているので尊敬しているし、感謝もしています。しかし、私は安定からはみ出したくてしょうがないのです。

 思うに、この「安定を求める人」と「安定からはみ出したい人」に別れる指標はその人の【死生観】と【ギャンブル性】によるものだと私は考えています。

 死生観

 人に死生観についてを尋ねる経験というのはそんなに多くはないでしょう。しかも20代前半で死生観について自分の考えを明確に持っているという方も少ないのではないでしょうか。
 私は、ここ一年で、祖父と愛犬が亡くなり、死生観について少なからず考えるようになりました。
 そんな中で、私の「安定をはみ出したい欲」の根幹を担っている一つが死生観なのではないかと考えています。
 「死生観」とは、文字通り、生きること・死ぬことに対しての自分の価値観のことです。
 私は、私が死ぬ時、自分の今までやってきた事を一つの物語を読むかのように辿っていって、今まで生きてきて心の底から良かったと思いながら死にたい。つまり、人生を1つの物語として自分で演出して自分でその物語を死ぬ間際に読みたいのです。
 物語というのは、ご存知の通り、「起承転結」があり、第一句(起句)でうたい起こし、第二句(承句)でこれを受けて発展させ、第三句(転句)で場面や視点を転じ、第四句(結句)でこれらを受けつつ全体をしめくくるという意味です。(goo辞書参考)
 この起承転結の振り幅を大きくしたいがために、私は安定からはみ出したいのかもしれません。
 理想の生き方は、1下がって2上がるようにちょっとずつ幸福度が上がり、自分の自信も上がることでしょう。しかし、私は5下げて10上げたいのです。何を言っているのか分からないと思います。私も若干分かりません。しかし、自分が死ぬ時に、自分が呼び起こす記憶の中でこれまで創ってきた作品やそれらによって笑顔になって頂いた方の表情がまるで挿入歌や挿絵のように自分の人生という物語に華やかな色をもたらしてほしいのです。
 そうするためには、安定からはみ出した方が、自分の人生の起伏を作りやすいのではないかと思っています。だからこそ、私は安定を拒んでいると考えています。
 そして、自分の人生を一番見るのは自分です。さらにいうと主人公は他の誰でもなく、自分です。だったら少なくとも20代くらいまではその自分のために生きてみるのも良いのではないでしょうか。

 勿論、安定を拒むからには「覚悟」は必要です。自分の心配に打ち勝つ「覚悟」が。それ無しでは多分生きてはいけないでしょう。
 上記にもある通り、私は毎日挫折しているし、毎日自分を疑っています。疑っていない日なんてありません。しかしそれで良いと思っています。そこで気づいたのが、心配に勝てるのは「自信」しかないということです。

 誰しも心配していることが1つや2つはあるでしょう。無いほうがおかしい。心配は必ずあります。それが人間という生き物です。しかし、自分の心配が自信よりも大きくなった時、人は崩れ落ちてしまいます。心を閉ざしてしまいます。
 自信は必要です。よく、根拠のない自信など捨てろと言われることがありますご、私はそれは違うと思います。

 良いじゃないですか、自分に自信があっても。ありすぎても。

 自信が無いと人は物事に立ち向かえないし、成長もしません。そして自信の一番の価値は心配を抑えつけることができるという部分です。特にクリエイティブな活動をしている方や自分で自分の道を切り開いている方には、この「自信」というものは必須の要素です。
 自信がないと心配に押し潰されてしまいます。
 そして、大切なことは自信と心配のバランスです。

 自信100%なのも少し違います。それはただの見栄っ張りだからです。その自信に満足して自分は行動しなくなってしまいます。だから人の心には少なからず心配も必要です。焦りも必要なのです。かといって心配100%だと生きているのも辛くなるでしょう。
 大事なのは「バランス」です。心配と自信のバランスを整えるスキルが人には必要なのです。この点を深く考えて、自分の死生観とも併せて、人は自分に対して大きな自信を持つべきです。それに根拠がなくたっていい。

 ギャンブル性

 このギャンブル性も、人が上記の2択のどちらかを選択するにあたって大事な指標となる項目の一つに該当すると考えています。
 私は、あまりパチンコや競馬のようなギャンブルはやりません。必ず収支がマイナスになると思っているからです。たまに行くとしても旅先で友達とノリで数十分打つ程度です。
 しかし、私も本質的にはギャンブラーだと思っています。それを外に向けていないだけで。私は、人生にギャンブル性を持たせたいのです。そこにリスクとリターンを求めたいのです。
 そこで重要になってくるのが、またしても「バランス」であると考えます。ここでのバランスは、リスクと努力のバランスです。

 旧Facebook(現Meta)社のCEOである、マークザッガーバーグ氏は、「人生のおいてまずリスクを取ることが大事なのだ」と説いています。リスクを取らないと人は大きく成長しないし、夢にも近づけないからです。まさにその通りだと私も思います。
 そこでです。もう一度書きますが、大事なのはリスクと努力のバランスなのです。
 人生においてリスクを取ることの重要さは理解していただけたと思いますが私が考えるに、リスクを取るにはそれ相応の努力は当然必要になります。
 理由は、リスクを減らすためです。
 あえてリスクを取ったのに、リスクを減らす行為をして大丈夫なのかとついつい思ってしまいますが、リスクを取ることで得られる便益は、それに対応するリターンであることは明らかです。そのリスクをできるだけ減らすためには努力が必要だと考えています。努力とは、それに費やした時間と実績を乗積したものだと思っています。そして、ただ時間を費やすのではなく、質にもこだわらなければなりません。しかし、リスクを取り、そのリスクを減らすために努力をし始めた頃は質は考えずとにかく量をすることが大事だと思います。だから、私は自分なりにできる最大限の努力は今後もしていきたいと強く思っています。

 ここで、努力について一つ念頭に置いておきたいのが、「天才とは99%の努力と1%のひらめきである」という言葉がありますがこれは、天才になるためには99%の努力と1%のひらめきが必要であるという意味ではなく、天才になるために99%努力したとしても、1%のひらめきさえあれば覆るという意味だと私は捉えています。
 これも努力とひらめきのバランスです。

 以上のように、どんなことにおいても、生きる上で大切なのは「バランス」だと考えています。勿論、対人ではコミュニケーション能力が一番と言っていいほど重要なものであると理解していますが、こと自分に対しては、私の中で「バランスを調整する能力」というのはどんなスキルよりもまず身に付けなければならないスキルであると考えています。

 というわけで、自分の今考えていることを思うがままに書いてみました。まとまっていない文章も多々あり、何言ってんだと思うこともあるでしょう。しかし、21歳の現在考えていることを、こうしてタイムカプセルのように文字として残し、数年後、数十年後の自分がこの文章を読んで何を思うかを想像してみるとまたおもしろいものがあります。自分でも思いますが、今回書いた文章はかなり生意気だと思っています。自分がこの先どのように思考が変化していくのかが非常に楽しみです。

 そんな最近競馬で8,000円負けたのーけー。でした。

 ということで、今回はこの辺で。
 ではまた👋

 arrive derci  ✈︎✈︎✈︎

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