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7mmの同居人

 目に見えないけれど、住宅には虫や微生物に至るまでたくさんの生き物がいて、その多様性は一つの森のようなものだ、という記事を読んだことがある。私は田舎育ちの割に虫が苦手だが、自宅では文字を読んだり、動画を見たりする以外は眼鏡なしで過ごしているので、小さなものは目に入りにくい。そもそも見えていないから、そう言われても少しも気にならない。

 でも、唯一の例外がある。

 賃貸の自宅には、よくあるタイプの洗面化粧台が据え付けられていて、その白い樹脂製ボウルに、たまにか細くて7mmほどの蜘蛛が落ちていることがあるのだ。当人もなんとか這い上がろうと試みているようだが、コーティングされた樹脂がよく滑るのか、一度落ちると出られなくなっている。

 とにかく存在感がなく、顔をボウルの底辺に近づけないと気が付かないほど「か細い」ため、これまでも気づかずに蛇口をひねり、水道水の勢いで流してしまっていたかもしれない。

 でも、気づいてしまったからにはなんとかしたいのが人情だ。ティッシュで包もうともしてみたが、当人にしては恐怖でしかないのだろう。小さな体でボウル内を必死に逃げ回り、私も苦手意識から触れないことを前提にするのでサルベージ作戦も雑を極める。とうとう疲れ果てたのか、死んだふりをしてしまった。・・・まじか。

 しばらくしたら動き出したので、また追いかけっこが始まった。あまりに時間をかけても消耗させてしまうと、気持ちだけが焦る。たまたまうまくティッシュに引っかかってくれたので、そのままベランダに走って行き、ティッシュごと外に出してあげた。(無風であったことにあとから感謝しつつ。)

 それ以来、洗面ボウルを使う場合は必ず顔を近づけて、小さな同居人たちが落ちていないかを確認するようになった。先日も一匹、樹脂製の壁を登れず、洗面ボウルの底で考えあぐねている風の個体を見つけた。この数年で3匹目くらいだろうか。

 今度は、かつてのように追いかけるのではなく、ティッシュを置いておき、時々様子を見るようにした。当然、洗面台は使えないから歯磨きなどはキッチンのシンクを使う羽目になるが、長くて1~2日くらいだ。うまく乗ってくれたのを見つけると、今度は外ではなく、フローリングの床に逃がす。顕微鏡的サイズではあるが、一応、我が家における食物連鎖の輪の担い手なのだ。

 気になってググってみたら、「イエユウレイグモ」というらしい。住居に出るクモとしては常連の類で、大きくても8mmぐらいにしかならず、ダニや小バエを食してくれるとか。「ユウレイ」という名のごとく頼りない佇まいだが、寿命は一年と意外に長い。せっかくサルベージに成功しても、気づかずにスリッパで踏みつぶしてしまっている可能性もあるから、ただの自己満足ではあるのだが。

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