卒園するみんなへ
ずっとずっとみんなに伝えたかったことは
「そのままでいいんだよ」ってことだった。
誰かと比べたあなたじゃなく、弱いところも
弱い所もみんなあなたで愛おしいと伝えたかった。
そのために、抱きしめて話を聞いて、べたべたしたいときは私も一緒にべったべたして、とにかく触れ合った。
友だちと喧嘩しちゃったときは、君の気持ちも聞いたし、相手の気持ちも聞いて、「そうだよね、どっちもこういう思いだったよね」と共感した。本当にそう思ったから。
これからありのままの君を色んな人に愛してもらえるように、人としておかしいと思ったことは「それはやっちゃいけないことだよ」と伝えた。
でも感情的に怒ったり怒鳴ったりしたことは一度もない。だって、君と私は話し合える存在だから。
保育最終日、4人しかいない年長組で馬の部屋の掃除をしていた。いつもお世話になっている馬の掃除を「みんなでやりたい!」っていったから、大人の手を借りずに。
最初は楽しそうだった。でも一人の女の子が仕切って、あとの三人はそのレールに乗りながらふざけたり、マイペースな子に一番しんどい仕事をさせ、あとの3人は楽な仕事をしている。しかも「のび太め!!」と大声でからかったりしていた。いわれている子は笑ってたけど、これはイジメと一緒だと思った。
「なんでそんなことするの?」ってきいた。誰も答えなかった。
「だって○○がせんけえだが」
「じゃあ自分もそうやってからかわれていいの?」
「いいで」
「じゃあ私がやろうか?同じこと。君だけに一番きつい仕事をさせて、のび太め!って大声で言おうか?」
子どもたちは返事をしなかった。一人が、マイペースな子を手伝い始めて、また掃除は盛り上がりだした。
すんごくショックだった
保育最終日で、自分は楽なことをして、しんどいことを一生懸命やっている人を馬鹿にしていたことが。何にも伝わってなかったのだろうか。何を見落としたんだろうか。抱きしめて抱きしめて話をきいて「そのまんまでいいんだよ」と言い続けて、気持ちは絶対に否定せず・・・ってしてきたけど、それには意味があったんだろうか。何を見逃して、何を伝え忘れたのか。伝えすぎてきたのか。
もちろん言った側にも心の内があるんだと思う。卒園前で少し心がざわついているとか、経験値が足らず誰かを馬鹿にすること以外、その時の活動の楽しさを見つけられなかったのかもしれない。
そこで気づいた。「そのまんまでいいよ」と言いながら、結局私の中には理想の子ども像があって、それにあてはめたいんだなって。
「友達と協力して思いやりのある子」みたいなものがあるんだなって。
なんにも「そのまんまでいいよ」って思えてなくて。
たぶん、そう思えていたらショックじゃなかったと思う。
「ああ、この子たちの今にはこういう姿があるんだな」っていう気づきになっただろう。
「そのまんまでいいよ」って伝えていきたいし、伝えていくけど、やっぱりまだまだ修行が必要だった。
ごめんよみんな。明日は思いっきり抱きしめるから。少しでも君の人生の助けとなりますように。