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「洪水からの生還。しかし落ち続ける業績。」

100年に一度の大洪水を乗り越えた僕たち秋平。

最後に載せた動画にもあったように、洪水発生から1週間は営業できず、水が引いて、1日がかりで復旧作業をし、その翌日に営業再開。お客さんとのトークはもっぱら「大変だったね〜、自分のところはこれくらい(水位を体の位置で表して)冠水してたよ〜」だった。

聞くと、日本人の中にも家の中まで水が入ってきて、大切なものだけを持ちホテルに避難せざるを得なかったと言う人たちがいて、ただのうのうと時間が過ぎるのを待っていただけの僕が「被災した」なんておこがましい限りだった。(いやでもマジで飯がないときは死ぬかと思ったから人それぞれの被災!よそはよそ!うちはうち!)

動画の最後には、「いつも通りの秋平が戻ってきました!お客さんも帰ってきたよ〜」的なコメントが、満席の写真とともに紹介されたいた。当時の秋平Facebookにも、よく満席の客席を写して「本日も大盛況!」なんて投稿をしていた。

しかし事実はそんなに甘いものではなかった。

満席になることなんてのは数日中に一回あるかないか。そんな満席の日には写真を撮って「いっぱい来てますよ」アピールをしていた。他の日は散々なものだった。これまでの3年半で「今まで、お客さんが0だったことはない!」と言う事実を心の支えにしていたくらいだ。どう言うことかと言うと…

お客さんが本当に少なかった。

めちゃくちゃ暇だった。ちなみにトップ画像に使ってる店内の写真は、もちろん営業中。書き入れ時であるはずの20時くらいの写真である。

いらっしゃるお客さんは、いつもと同じ顔ぶれ。当時通ってくださっていた方々には頭が上がらない。今の秋平しか知らない方は「他と比べればメニューが少ないラーメン居酒屋」くらいにしか思ってないかもしれないが、当時はもっとひどかった。

まず立地が悪すぎる。ビールも出せない。そしてメニューは基本的にはラーメンのみ。あとは頑張って開発したチキン餃子とチャーハン。そぼろ丼とかかき揚げ丼も作ったけど、うん、まぁ、そんなもんだ。そんな状況でも通ってくださっていたのだ。3年半続いているのは、初期の“秋平ファン”、いや、“秋元ファン”がいてくださったからだ。

お客さんが減った理由のもう一つの原因として競合店の進出。今までチェンナイの日本食と言ったら「空島」「GO GO RAMEN」「ダリア」くらいだった(今ではGOGOもダリアも閉店。空島も日本人シェフがいなくなってから全く話に出なくなった)。選択肢が少なかった中で、なんとか秋平を選んでもらえていた。

そこへ、すでにデリーの方で確固たる地位を築いていた「フジ」がチェンナイに進出してきたのだ。しかもめちゃくちゃいい場所に出てきてしまった。これが2015年11月くらいだったと記憶している。洪水の前だ。

手漕ぎボート(秋平)が急流を上流に進もうと頑張って漕いでたのに、突然豪華客船(フジ)がやってきて追い抜かれた。しかも彼らが横を通り過ぎた時の波でボートは転覆。「おーい!生きてるか!船に掴まれ!よし、船をひっくり返そう!せーの!…う、う、うわぁ!!」で大洪水だ。

ちょっと、水系の例えで、本当の洪水も出てきたから訳わからなくなった。

まぁとにかく強すぎる競合相手に、完全に競争に負けていた。彼らには、僕ら個人の力では如何にもこうにもできない「資金力」と「現地人を扱うノウハウ」があった。

内装にもお金かけて綺麗だったし、スタッフも「どう教育したらこんなに素直にみんな働けるの!?」ってくらい優秀なインド人たちが働いていた。嫉妬心から(いやホントは店から離れられなかったからだけど)フジが出来てから半年くらいは行ったことがなかった。多分当時の在チェン日本人で行ってなかったのは、僕とダリアのご主人くらいだと思う。(知らんけど)

さらに、大洪水により自家発電機(ジェネレーター)がお釈迦。中古でも結構高かったのに、再び同じくらいの金額がぶっ飛んだ。そして全ての食材がオジャン。1週間以上の停電で冷蔵庫の中にあった仕込みが全て腐った。その他諸々の清掃費などなどで、秋平の運営資金はほぼ底をついたも同然だった。

お給料は僕と拓が月々3万ルピー。社長は0だった。秋平的にも、個人的にも、かなりシビれる状況だった。


気付けば約束の3ヶ月はとっくに過ぎていた。



See you next No Joke....

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