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聖剣伝説2クリア後感想

 聖剣伝説1から通して、「裕福な出の不良みたいなゲームだな」と思った。「世界が豊かであることを疑いようもなく信じているが、その豊かさの一部を掠め取って自分のものにすることが人生の目的であることにどうしようもない罪悪感や欺瞞を覚える」そういう思春期っぽい悩みが、特に2では滲んでいるどころか画面から上気している。血気の多い友人の青春トークを延々聞いてるようなそんなゲームだった。あとその友人はおそらく躁転しているので、雪山では木が自分から発光したりする。
 この友人のトーク内容を、私はおおむね次の3つに要約して受け取った。


1:「RPGで、訪れた街が自分のものになる――させられるあの現象って気味悪いよな」


 旅に出た主人公が訪れた街のトラブルを知り、その解決役を買って出て見事成功、街は主人公を褒め称えて、以降話しかけてもみな「あなたのおかげで助かりました」と感謝の意を述べてくれる――その成功体験がいずれは世界の悩みそのものを解決するに至るのだ……これめっちゃ気持ち悪いよね、ということを聖剣伝説2はだいぶ念押ししてくる。
 聖剣2でそのように「救われた街」になったのはかろうじてモーグリの棲家くらいで、他は驚くほど「これでこの街はあなたのものになりました」というカタルシスを与えてくれない。帝国に関わっている街は主人公が何をしようが戦乱の危機にさらされ続けているし、オアシスは主人公側の都合を解決した段階では渇水は何も解決せず、南国村やゴールドシティに至っては主人公が関わったことで街の運命が決定づけられる。
 エリニースを倒し、パンドーラ王国で"生気が戻った"住民の声が聞きたくて片端から話しかけるプレイヤーに対し、ある老婆から放たれる言葉はまさしくそれを象徴したものだろう。

「…うるさいね、私は元から無口なんだよ!」

「お前は街の住民が"自分のもの"になったことを期待して話しかけてるんだろう?」という意地悪かつ本気で咎める目線が、そこには明らかに込められている。


2:「イベント進行のためなら画面上のものを勝手に取っていいと思ってるやつって、化物寄りだろ」


 生きるため、自分であることを維持するために、やむを得ず何かを勝手に奪う者がいたとしたら、それは化物である――ということが、聖剣2の中では一貫されている。
 そもそも、主人公がそれだ。滑落や防衛のために聖剣をやむを得ず手に取ったことは、エンディングまで一切酌量されない。彼は最初の村では一貫して化物のままであり、旅先で彼がそう扱われないのは、ひとえにそのような簒奪を他の土地ではしていないからに過ぎない。サンタクロースは己の強化と仕事の遂行のためにイベントアイテムを獲得しようとして怪物化しているし、ディラックという「次の操作キャラ」を手に入れようとしたタナトスも――ポポイを手に入れるために世界の破滅を選ぼうとした、神獣戦前の主人公も。


3:「人間に本当に許されてるのは、何かを育てることだけだ」


 RPG、あるいはゲームで「本当にプレイヤーに許されていること」を突き詰めた結果、聖剣伝説2はおそらくそれを「育てること」と定義したのだろう。
 世界を英雄譚の一部として消費することをまるで許容しないなか、フラミーの救出と恩返しからの乗り物役といういかにもRPG的なイベントはてらいもなく進行し、プレイヤーに十分なカタルシスを与えてくれる。これはフラミーが親を失った子供であり、「まだ育てられるべきもの」だったからだ。
 ゲームのプレイヤーには、「まだ育っていないもの」が見える。それはレベルであったり、熟練度であったり、絆であったり、未熟な生き物であったりする。ならば、プレイヤーがその手助けという善行をしない理由があるだろうか? フラミーはプレイヤーに託された養子であり、「お前はこれを所有するのではなく、育てるのだ」というプレイヤーの目をガン見したガンギマリの約束だ。色もギラギラしている。
 サンドシップでのメレリアとモリエールの騒動はそのための補助線だろう。渇いた砂の中を延々と走る、なにかを育てるのではなく、甘やかして所有することに決めた船――それはまさに、最後に世界を守ることを選ばなかった、あってはならない主人公の写し絵だ。


プレイヤーを下りるとき


 このゲームのラストシーンは、遠くを眺めるポポイの後ろ姿で終わる。2つに分かれ、干渉することが叶わない遠くの世界。
 もしかしたら、スタッフロールのときに流れている映像は、ポポイが最後に見ているあの世界だったのかも知れない。でも、もはや見えない。HPも、ダメージも、レベルも、熟練度も、テキストウィンドウも、別のマップに移動したあとの彼らも、フェードアウトした後の次の場面も。
 だけどそれは欠損ではない。育て終えられ、充足した、プレイヤーのものではない、誰かの世界だ。わたしは安心してプレイヤーを終える。もうあの世界には、電源も起動もボタン操作も必要ないのだから。

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