考えさせられる癌闘病…②
義母は、最後は穏やかに眠る様に息を引き取りました🍀
急激に悪化する病状、最後は自宅でという想いは叶いませんでした。
最後に話が出来た時は、病院から連絡があった時、『病状が厳しい状態です。痛みも治らなくなってきている、麻薬を使うことになるので、その前の話せる時に会ってください。』
時間を合わせて、皆で病院へ
コロナ禍のため、病室に行けないので、ストレッチャーで面会室に連れてこられた義母。
入院してから、3日しか経ってないのに、もう声も出ない、いっぱい伝えたかったことがあったのに伝えられない。『もう私は駄目かもしれない。そんな気がする。いつもと違う。』これが義母との最後の会話…
悟ってしまった、これが最後だと…
次の日に主治医の説明、全く分かっていない、支離滅裂、目が泳いでいる。11月の抗がん剤は10%の患者さんしか効果が無いと言われている最後の砦…
なんでその時に家族にもちゃんと説明しなかったんだろう。癌の勢いが、強すぎる、もう太刀打ち出来ないと。
義母は最後の抗がん剤のあと、高熱と食欲低下、癌性疼痛が現れ、体力までも奪われてしまった。
今は時間が戻る訳ではないけど、その時に緩和ケアに転院してたら、本人の意思を尊重してたら…
後悔は後をたたない
亡くなる2日前から、病院から病状の説明と特例で病室に面会することを許してくれた。頭蓋骨を突き抜けた癌が悪さをして、全身痙攣を起こしたのだ。朝まで少し会話が出来ていたらしいが、意識が戻ることは無くなった。
そして、いつのまにか、あのポンコツ主治医から他の先生に対応が変わっていた。
看護師さんが気持ちを汲みとってくれたんだろう。
事あるごとに『なんか言いたい事、ないですか❓』と聞いてくれるようになっていた。でも、私達は言ってもしょうがないし、病状は変わらないわけだし。
それから2日間のことは、ハッキリ覚えていない。
でも、何らか変化があれば、早朝や夜でも連絡があり、駆けつけて、面会させて貰った。
最後はいよいよ血圧も下がりだし、家族で交代しながら、病院に待機することとなった。
義母は気を使う優しい人だった。
家族全員が揃うまで待ってくれて、最後の1時間は病室でたわいのない思い出話を皆でしあって、静かに息を引き取った。
最後は息子、嫁、孫に見送られ、幸せだったのかな〜🍀
あっちで義父に会えてるかな〜🍀
沢山の愛をありがとう💖