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電脳コラージュ図書館

マガジン『「思ってたのと違う」未来へ』は、論文では無いので、僕はかなり好き勝手に話を端折り、丁寧さを欠いた書き方をしている。そして言わずもがな、僕の文章・思想は僕に影響を与えた文章たちからコラージュされて出来ているにもかかわらず、僕はその出典をほとんど記載してこなかった。

本来的には、そうした出典を並べた方が、そしてその出典に触れた読者たちの中で新たなコラージュが出来ていく方が、僕の文章の理解は進むし、お互いに楽しいのではと思う。なので、今回はそうした出典となり得る作品たちを紹介する。いわゆる副読本だ。

アーシュラ・K・ル=グゥイン「夜の言葉」

ル=グゥインはかなり徹底して現実社会に対するオルタナティブとしてSF/ファンタジーの事を取り扱っていた。言ってしまえばファスト=ポリティクスや行き過ぎた資本主義(=つまり、人を価値化する事)に対して批判的だった。この本自体は1970年代のエッセイだが、もはや50年前から変わらぬ現代批判として通用する…というより、この時から既に現代社会の未来に対する症状は始まっていた事が分かる。

パオロ・バチガルピ「第六ポンプ」

バチガルピはディストピアの名手であるが、ディストピアが何故ディストピアかと言えば、そこで生きる人間が苦しんでいるからである(完全に全員が問題に気づかなければそれはユートピアである事は、伊藤計劃の「ハーモニー」であきらかだ)。「神の水」なども優れたディストピアで、アメリカ水利権の問題を鮮やかに描き切っているが、「第六ポンプ」は短編集で様々な問題を切り取り、様々なディストピアの苦しみを、裏を返せば人が生に望む様々なものを描いている。そうした「人が望むもの」と、ディストピアが作られるまでに至る「社会が、人々が望んでいたはずだったもの」のギャップは、まさしく「思ってたのと違う未来」の話だ。

J・G・バラード「楽園への疾走」

これも「思ってたのと違う未来」の話。バラードは、correctというものが存在しない話を、理想とされるものを追求した結果崩壊していく様を描くのを得意とする(ハイライズ、バーミリオン・サンズ、殺す、千年紀の民、など)。その中でも最も批判的で、かつ崩壊の様がヤケクソで娯楽として楽しいのが「楽園への疾走」だ。(次点でハイライズをお勧めしたい)。

正義に対してこだわりを持ちすぎると、正義を執行するための社会性の獲得が結果として顕示欲となり、その肥大化した正義と自己のバランスが取れず崩壊する…という様を、環境保護団体のリーダーを務める女性と、その女性と性的関係を持つ少年の話として描く。言わば暗黒のオネショタ。最高。

フィリップ・K・ディック「暗闇のスキャナー」

今は「スキャナーダークリー」のタイトルになっているのだったか。薬でラリっているときの表現(自転車のギアの数が全く数えられないで議論になるシーン)がとにかく秀逸だが、お勧めする理由はそこだけではない。

社会の構成員としてシステムの監視側でありながら、そのシステムに監視される主人公が自我を崩壊させていく話だが、その社会システムの搾取の在り方にはディックの苦悩が強く反映されている。匿名化させられる事、自縄自縛し続けるシステム、その中で酩酊やexitを目指す事とは何か。オルタナティブはあり得るのか。暗闇から監視する者は何なのか。

伊藤計劃「虐殺器官」

先ほど「ハーモニー」の名を出しておきながら、こちら。これ自体はこれまでもマガジンで何度か取り上げている。

ファスト・ポリティクス、インスタント・エコノミクスの行先かのように現れる、条件反射的な暴力・排除行為…言わば虐殺…を惹起させる言説の文法。人を無条件で暴力行為へ導く事が出来る「虐殺の文法」が存在するという話だが、一方で作中には(特に明言されていないが)「愛されの文法」を使っているかのごとく、特に何ら理由も無く主人公たちに愛される=人を無条件で愛へ導くことが出来るルチアという存在がいる。

我々は何に駆り立てられて人を愛し、人を殺すのか?愛(=支援)もまたインスタント・エコノミクスの果ての姿として現存するなか、我々を動かしている文法とは。

サマセット・モーム「月と六ペンス」

ある種の「虐殺器官」の話。だが、当人たちの活動と経済的評価が全くリンクしない点は、これまで紹介した作品に通じるような社会性に関係なく、人々の活動は決定されていく事を示している。そういう意味ではファウストの「魔術師」も同じカテゴリかも知れない。

ハーマン・メルヴィル「バートルビー」

こうして、「思ってたのと違う」未来がつまりは現実が様々に描かれているのに対して、「何もしない」という選択をする事…レヴィナスの「不眠」(イリヤ)にも似て、無力感と、一切を停止する事からはじまる再構築の全能感が同時に現れる事…それは「横たわり運動」でもあり、ニックランドがバタイユに哲学のリセットを見たように、破壊するのではなく否定する事による未来への提言である。「思ってたのと違う」未来のために、現実を否定する事。

なお、ジョルジュ・アガンベンが「バートルビー 偶然性について」という解説を書いて、如何に本書が単なる小説に留まらない、思想的に一つの特異点にあるかを紹介している。


ひとまず今回は7冊ほど紹介した。まだまだ挙げればキリがないし、漫画やゲーム、映画や音楽などにまで範囲を広げれば大分シリーズ化できそうだ。自分としても読んだ本同士の関係性をまとめることが出来てよいので、今後も不定期にこうした紹介を行っていく。

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。