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「思ってたのと違う」未来へ!

誰かが未来を変えていかなければならない。

思っていた通りの未来で

「思ってたのと違う」未来へ”マガジンは、予測される未来として、来るべきディストピア(但し、他のディストピアよりははるかに「マシ」なディストピア)を示していた。「マシ」と書いた通り、この世界では誰もが労苦からは解放されるものの、生産的な活動が出来る訳ではない世界だった。生産的な活動が出来ない者は、いわゆる「推す」事しか行う事が出来ないという世界でもある。

ただもちろん、その世界に至るまでは時間がかかろうし、理想の世界に辿り着けない中で如何に生きていくかという方法論として、愛されるにはどうあるべきかという論点があろう、とメモに残していた。

ただこれは、あくまでセーフティラインの話だ。思っていた通りの未来で、いつか未来は平和になるので、案ずる事はない、というだけであり、ここで終わらせる事が全てではない。(もちろん、そもそもは案じる事はない事を伝えたかったのは目的としてある。資本主義の御旗のもと優生的思想は駆逐できるという、一部の前進主義者が「思ってたのと違う」未来は提案しておく必要はあろうと考えていた。)

この、「思ってた通りの未来」がくるセーフティラインを確保できたうえで、その先をどう考えるかが次の課題だ。

「思っていたのと違う」未来へ!

これについては、樋口恭介さんが見事に言い切っている。まさしく、「思ってた通りの未来」を予測するのではなく、「創造する」事がビジネスであることを熱く語った、仕事の在り方を問う名著だ。

例えば、僕の想定で考える「資本主義とその成果物品質維持のため、経済規模を維持するために富の再配分がされ続ける」という未来を、想定より早くもたらす方策があるかもしれない。あるいは、この未来をも超えてより良い未来を作る方策もあるかもしれない。そもそも、そうした方策を考案し実現していかなければ僕の想定する未来すら来ないかもしれない。より良い未来を求めて行動をし続ける事、セーフティラインのディストピアを超えてより人間らしく生きる事(貧者のレビュアーにならない事)…そのために、未来を幻視して、そのために行動する事の必要性が説かれている。ビジネスマンとしての自覚を高めるためにも、本著はお勧めしたい。

但し、僕は根本的には全ての人が前進的である必要はないと考えており、当然、全ての人が上記の本のように動く必要はないと考えている。また、世界の「良さ」を刷り込ませていき、陰謀をたくらむ事も可能であろう。

上記の陰謀の話の通り、僕自身にとっても「思ってたのと違う」未来になってほしいとは思っている。思っている通りの未来は、他よりはマシではあるが、ベストだと思っている訳ではないし、諦めるものが多かろうとは思っている。より良くするためには、未来を変えていかなければならない。繰り返すがセーフティラインはあるので失望する必要はなく、それこそスタァとしての活動として、働きかけを行っていくべきなのだろう。

「思ってたのと違う」未来へ”マガジンは、この記事までを以てそのスタンスとしては丁寧にまとめられたと思う。これからの未来への活動は、初期の記事のような方向になっていくのではないか。

↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。