呟きもしなかった事たちへ_No.12(2020年7月号)

※コンセプトは創刊号をご確認ください。ぼーっとする文章が続きます。バックナンバーはこちら

「Web会議に乗じてこちらが大人数になってしまい申し訳ありません」

新しい習慣に乗って新しい日本語が来たな!と思った。大人数で相手先に押しかけたり、少人数の来客を大人数で迎えたりするのは確かにあまりいい事ではないという風習があったが、そういうものが取り払われていくのを目の当たりにしたという思いだ。

今月も、呟きもしなかった事たちへ。

ラップバトル

飲み会にせよ会議にせよ、Webでやる時はドラクエのようなターン制バトルになるな、と思っていた。全員で誰かの発話に耳を傾け、交代でしゃべる。相槌や横入は難しい。

…この形式どこかで見たことあるぞと考えたところ、ラップバトルが思い当たった。ならばラップバトルは早々にWebで流行りだしていてもよさそうだなと思って検索したがあまり出てこなかった。検索が下手なだけかもしれないが、言われてみると「今こそオンラインでつながりましょう!」といって呼びかけた後で「お前のこだわり、まるで意味なし」みたいな応酬をするのも変な気はする。(それと、僕のラップバトルに対する意識はかなり貧弱だ)

とはいえ、格闘ゲームみたいなもので、対戦を楽しんでいるだけで実際は別に仲が悪い訳でも無かろうに、なぜやらないのだろう。ライブ感が大事なのだろうか。しかし「ライブで応援が聞こえないと相手に滅茶苦茶言うのしんどいんすよ」と言うフリースタイルラップバトラー(バトラー?)も何か変な気がする。

多分、ラップバトルのこと何も分かってないな。

ポスト

街にある郵便ポストの位置をいまいち正確に覚えられない。「あそこにあったはずだが」と思うと、大体ズレている。1ブロックズレていたり、道の左右が違っていたりする。

興味がない、のだろうか。まぁ正確に覚えていなければならないということもないのだけれど。

寄付

たまたまだが、給付金申請書と同時に母校(中学・高校)から寄付金の依頼が来た。母校の募金名簿(10万円以上で記録に残る)にはいつか名を載せたいなと思っていたし、タイミングも良い。給付金の使い道も考えていなかったのでこれでよいと10万円をクレジットカード経由で寄付する事にした。

入力が終わったところで、途端にカード会社から「この支払本物ですか?」と確認が来た。寄付なんぞしないだろうと思われていたのだろうか。

たまにはする。する人という目で見てくれ。これはカード会社だけでなく、読者の皆様へのお願いでもある。

道路

自転車に乗るのが好きだが、どうも考えると運動そのものより「車道を走っていること」が良いのだなという事に気付いた。

車道、よくよく考えると街のなかで相当に大きい土地だ。幅がちょっとした公園より広かったりして、上には何もなく、そして延々と長い。都市の中の空間としてかなり贅沢だ。歩道を歩いたり、車に乗っていると得られない広さがある。しかも成人男性が一人で公園にいると怪しいが、公道を自転車で一人で走っていても問題ない。素敵だ。

エレベーター

東京駅地下の北口自由通路に、階段にして13段の高さのためのエレベーターが出来た。あまりバリアフリー等に詳しくないが、多分エスカレーターやスロープでは駄目な理由があるのだろう。エスカレーターだと登り下りで2本必要だし、まぁ階段を残すという方針ならエレベーターか。階段を残しておくべき理由は知らない。

しかし、そもそもあまり広くもない自由通路の半分を潰して、最近流行りのシックな黒い壁紙でエレベーターへの空中回廊(階段からのせり出し)を作り、13段分の高さをエレベーターで下る、というのは大変な贅沢だ。かなり突飛な空間が出来ている。素晴らしい。機会があれば毎回乗って貴族感を味わいたい。

オヤジ文体

在宅(というより対面レス)で仕事をしている時の弱点として感じるのは、コミュニケーションで何とかすべきところが上手くいかないところだ。

明らかに連携不足による間違った依頼が来た際に、内線や口頭で「これ聞いてないけどさ…マジ?何があったの?」と聞けばフォローが出来る一方、「その件、そのようには把握していないのですがどういう事でしょうか」とメールで書けば角が立つ。かと言ってCCに多くの人が入っているような業務メールで「え、これ聞いてないよ…マジ?何があったの?」とは書きにくいのも事実だ。

だから何らかの形で空気を砕かなければならない。そしてそれは若手の仕事ではない(若手が先輩や上司をCCに入れたメールで「マジ?」とか書けないだろう)。そしてオヤジが現れるのだ。

ちょっと待ってよぉ~聞いてないよぉ~、ってダチョウ倶楽部は若い子には伝わらないですね(顔文字)
でも頂いたメールの件、不明な点もありますので以下ご確認ください。よろぴく。

全てのオヤジ的コミュニケーションがこうした悲しみの果てに生贄として生まれ呪いを背負う存在だとまでは断言できないが、こういう経緯はありうるのではないかと思う。そして、こういう会社経験を積んだオヤジは、おそらく若い子とのLINEやSNSでの絡みでも似たような表現を使ってしまうのではないか。

オフの時にネットで知り合った女の子相手に使う事を擁護は出来ないのだが、全ての「悪いもの」は悪意に由来しない可能性は、意識していたい。

大掃除

随分と多くのごみを捨てた。過去の企画で使ったものなどの残りや画材のあまりが大半で、こんな事もやっていたんだなと完全に忘れていたものを思い出せたりもした。

が、それらを捨てた。多分また忘れ、二度と思い出せなくなるのだろう。仕方がないし、それは部屋だけでなく自分の大掃除でもあるのだ。

既製品

鶏肉に、マルタイの棒ラーメンについてくる粉スープをまぶすと、下味としてかなり出来が良い。あとは焼いても揚げても燻製にしても、何をやってもうまい。マルタイの棒ラーメンの味、ラーメンとしてはパンチが薄いが、しっかり塩コショウ醤油ガラ香味野菜が混じったスパイスであることが分かる。お湯で溶かずに肉にまぶすべきだ(そしてラーメンのスープは自分で作るべきだ)。

既製品は一発で味を決めてくれる便利なものである一方(あるいはそれ故に)、既製品を使うほどいわゆる手作り・オリジナリティへの評価は落ちていく。しかしラーメンスープで肉料理の下味付けてるのはオリジナリティが高い方だと思うし、「クノールのカップスープを使ってこんなフレンチが!」みたいなのは料理上手感がすると思う。既製品側も結構「うちの商品を別の物に使ってくれ」という気概はあって、例えば「ゆかり」はパスタに使えと書いてあるし、「永谷園マツタケの味御吸物」もパスタに使えと書いてある。何故かパスタが多い気はする(米に合うものをアレンジするから炭水化物に頼るのだろうか)。

TwitterやShufoo知恵袋発言小町ちゃんねる(どこだ)で度々話題になる「クックドゥ問題」に一石を投じる話として、「こういう『別解』はどうなの?」というのは聞いてみたい気もする。


マルタイの棒ラーメンのスープ、余るんです。詳しくはこちら(宣伝)


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