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大野の果てのパーティー

私たちがこの果てしない荒野で、最悪なパーティーをし続けている中で、それでも生きていかなければならないから。

「インターネットやめろ。」

You watch the Watchmen, who watches you

「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損損」と言う。僕自身は下手な踊り手になるくらいなら見ろという事は言い続けているのだけれど、仮にこれが正しいとしよう。つまり、踊るか見るかしかないのであれば踊るべきだとしても、「踊るか見るかしかないのか、見ないという選択肢はないのか」という点は検証されるべきだろう。

見ない事で阿呆からも脱却できれば、それが一番いい。少なくとも選択肢ではあろう。

だが、見ないという事はもはや難しい時代になってしまった。世界はつながっていて、情報戦は展開され、フェイクニュースも溢れ、我々の目には世界が飛び込んでくる。そういったものを遮断すると、今度は一切から遮断される。そうして、我々は見る事を強いられ、結果「見る阿呆」は踊らなければならなくなる。世界がつながっているという事は、私たちも発信をしなければならない、声を上げなければならない、と。

そうして踊る事で、今度は私たちは見られている。踊りは加速する。

だが、全ての人が、世界レベルの隅々の事を見て、考え、発信するというコストを負担するという事が妥当なのだろうか?

もちろん、(このタイミングでエントリーを書いている以上避けられない話題だが)平和が脅かされたりとか、災害が起きたりとか、そういう想定外のコストであって、そうではない平時においてはそこまでの事を考えなくても良いように出来ている…という指摘はあろう。とは言え、平和な時には余計な事を言う者がいるし、あるいは、(これも余計かもしれないが)改善を、進歩を、正しさを、求める人たちの活動は続き、活動は世に広まり、人々の目に留まる。「目があったな。これでお前と縁が出来た」というのは最新の特撮ヒーローのセリフだが、まさしく正義を語る者による「話に加われ」という宣告であり、私たちは否応なしに巻き込まれて行く(なお、恐ろしい事にこのヒーローは変身時にダンサーを連れてやってくる)。

※参考として、女性運動に関する「関わらなければならない」事の危険さのエントリーをリンクしておく。Watchmenの話としてもリンクしている。

出口のないパーティー

こんな喧騒を、馬鹿げたダンスパーティーを抜け出す方法は無いのか?

「こんな馬鹿げたパーティー抜け出して、俺らだけで楽しい所に行こうぜ」

残念ながら「パーティーを抜け出す方法」は完全には無いだろう。世界はすでに世界という一つの舞台で、未踏の地、隠された場所はなく、視界を隠す垣根は取り払われようとしている。「楽しい所」は無い(だからこそ陰謀論や似非科学という類のオルタナティブは現れ続けるのだろう)。

隠れて生きよ、とエピクロスは言ったが、今更隠れる事でアタラクシアを求められる時代ではない事は散々書いた。

それでも、だ。それでも、パーティーに巻き込まれないようにする方法は無いのか。それは例えば、ハリウッド映画のように、パーティーのダンスフロアに居ながらにして周りが一切気にならないほどに見つめあう一組のペアのように、目の前の何かに集中する事…皮肉にもエピクロスが望まぬエピキュリアンめいた解法だが、「隠れて生きる」事が出来ない以上、忘我によって自分を(自分から)隠すという手法が検討されることはあろう。だがこれが恒久的な解法ではない事も明らかだ※。

私たちは出口のないパーティーにいる。パーティーだから、ノラないといけないし、ノッていないと監視される。踊るか、叫ぶか、キメるか、酔うかだけが、偽りの出口としてある。

※もちろん忘我という手法は一つの答えだし、そこに素晴らしさもある。

Let us cling together

改めて、その出口のないパーティーの中で、一時的にでも、踊りもせず、見もせずに、阿呆から脱却する…つまりは目をつぶるための方法は無いのか。一人では難しいだろう。しかし、人となら方法はある。パーティーで放置される術はペアで目をつぶって会場の端にいる事に尽きるし、その時にペアは手をつないでいればいい。

話は飛躍するが、パートナーがいる人が落ち着いて見えるのは、こうした手法によって阿呆から脱却できるシーンがあるからなのではないか。友人が多い人が変な陰謀論にハマらないのは、阿呆として踊らなくて済むシーンがあるからではないか。

パーティーから置き去りにされても大丈夫であるように、人といる事。「インターネットやめろ。」「書を捨てよ、街へ出よう」。なんてつまらない結論なんだろう、結局は「愛される」事だけが阿呆にならずまともに生きるなんて(そしてその事は過去のメモでも触れているなんて)。



↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。