呟きもしなかった事たちへ_No.3(2019年10月号)
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猫は箱にすっぽり収まっているように見えるが、実は箱は常に少し小さい。ジャストフィットという関係は、猫の柔軟性によって担保され、見せかけられている。…何となく海外ビジネス本の冒頭になった。どうでもいい気付きを神妙に書くとビジネス本の冒頭になる。
今月も、呟きもしなかった事たちへ。
クリームコロッケ
小麦とバター(と牛乳)に、パン粉をまぶして揚げたものなので、実質パンと同じようなものなのだが、美味い。いや待て、実際美味いパンなのではないか。美味いクロワッサンとクリームコロッケは同じ味がする気がする。
そう思って祝日に美味いクロワッサンを買ったのだが、全然味が違った。
貧乏舌だ。
クソゲー
長文で書こうと思って3か月くらい苦戦してたのだけれど。
CELESTEというゲーム、「圧倒的好評」として賞まで取ってるゲームなのだけど、ハッキリ言ってノーマルモードのゲームバランスが良いとは到底思えない。一言でいえば後半の蘇生ポイント間が遠すぎる事が全てで、そのくせ画面が横に長くて初見殺しやスタート時に認識できない(覚えていないといけない)ギミックが多く、中距離走のような集中力を何度もやらされるゲームだったのでただただ疲れた。蘇生ポイントがもう少し多ければ高評価できたと思う。(ちなみに僕はI Wannaはクリアしているし評価している)。これがSteamで96%の好評に得るのは正直感覚に合わない。
これは「やった人の96%が好評」ではなく、「低評価をしている人が投稿で不満を表現しにくい」事が原因だろう。クリアすれば「文句は言っていてもクリア出来るレベル」だし、クリアできない人のためには「イージーモードがある」と言われる。挙句CELESTEは「辛く逃げ出したくなってもそれでも試練を耐えて山を登る事が素敵な自分を作る」というテーマで、投げ出して文句を言う事がダサいというメッセージを主人公像を通じて訴えてくる。
一つのゲームとして全体的に良く出来ている事は認めるが、どう考えても評価数字はそれ以上を示している。僕は苦手だった人の声が少ない事をとても気持ち悪く思っているのだけれど、上記の通り文句を言う事が凄くダサいというCELESTEの「場」と上手く対峙してこの事を書かなければと思っていた。搦め手に縛られ、気が付いたらクリアしてから3か月がたっていた。
だがもういい、面倒だ。僕にとってはCELESTEはクソゲーだった。理由も書いた。以上。
腕時計しぐさ
女性が腕時計を見る時に、手首を反るようにするのが好きだ。何だか良い。
しかし冷静に考えると、手首を返したところで視認性が高まる事は無いように思う。今やってみたが、何となく肘が張るので少し袖が引っ込むかもしれない程度だ。
意味は無いのだろう。よく分からない。
似たような話で、女性がラーメンを食べる時に左手で左側だけ髪をかき上げるのもよく分からない。右側は大丈夫なのか?左側だけ危ないという事は首をかしげているのか?それともそもそもどんぶりに対して右に寄って座っているのか?だが、悪くない。良い。
ああした仕草は、意味が無いまま、何か記号として(まさしく仕草として)受け継がれていったのだろう。意味が無いのに受け継がれる理由は何かといえば、それはもう、ただ素敵だからなのだろう。
良い。
キー配列
会社でofficeを使っているとAlt+Enterを良く使うが、Noteではshift+Enterが段落変えをしない改行でよく使う。混乱する。
会社のキーボードとこのNoteを書くのに使う家のキーボード、fnとctrlが逆だ。混乱する。
昼と夜を迎える度に、違う自分を作っている。今の、夜の僕は、昼の僕ではない。こういう所から会社とのかい離を感じていく。
違う、これはただの言いがかりだ。
老化
薄くなってきている。命が。そして頭が。
いわゆる頭頂がハゲてきたり、生え際が交代するのではなく、徐々に薄くなってきている。上から見られたりすると「薄くなってきたな」感が出るので前髪を伸ばして立てている。そういう対応が必要な程度にはなっている。しかし、いわゆる「シャンプーをしている時手を見るとびっくりする」とか「枕元に大量の髪が!」といった事はない。
抜けているのではなく、毛が少しずつ細くなっていっていて、少しずつ全体としての見栄えが悪くなってきているという事だろう。「まだ走れるけど、遅くなってきている」とかと同じで、出来ない事が増えていくのではなく、できる事の強度が弱くなってきている。
そういう、「薄くなっていく」事が、老いていく事なんだろう。
実は嫁も毛が細くなってきてるんだけど、もともと頭髪の量が多くて髪を切らないとすぐ髪型が爆発する人だったのが、今はちょっと伸ばしても落ち着いているので、羨ましい。年の取り方にも色々ある。
台風
案の定野地家はインフラ被害も出ず、前日の買い出しで(皆がパンとかを買う中)見向きもされていなかったさんまを買って、コンフィにした。避難しようかという人が居たので家に呼んでパーティをしてコンフィで赤ワインを飲んだ。美味かった。バカ話をした。別に台風じゃなくてもこういうパーティは楽しい。
Twitterは大きな災害の時に不思議な連帯感が湧くし、災害に限らずお祭り事になると連帯感が出る。だが、災害やお祭りに関係なく普段から連帯して、どんどんパーティしたり遊んだりしてもいいのだ。
↑クリエイターと言われるのこっぱずかしいですが、サポートを頂けるのは一つの夢でもあります。